センスメーキングとOD⑦~センスメーキングと組織変革1. 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-290~
センスメーキング概念は、組織変革を行おうとする人たちにとってとても大事な概念です。ワイクはセンスメーキング inオーガニゼーションズで以下のように述べています。
「集団を変革するためには、集団で話されていることおよびその言葉の意味を変革しなければならない、という点こそセンスメーキングが持つ重要な実践的意味合いである」。
センスメーキング inオーガニゼーションズは1995年に初版が発行されています。ワイクはODの領域の人ではありませんが、ミシガン大学の組織行動および心理学のレンシス・リッカート講座の教授であり、ポスト・モダンマネジメントの旗手と呼ばれています。マネジメントも「意思決定/decision making」が大事の時代から、「センスメーキング/sense making」こそが大事の世界に移っているといわれます。センスメーキング inオーガニゼーションズに以下のような文章があります(Starbuck 1993)。
「管理者としての成功を説明するものは、何を計画したかではなく、何を実行したかであることを、管理者は忘れている。管理者はお門違いのもの、すなわち計画書をいまだに信じており、この過ちを犯しているために、管理者は計画づくりにより多くの時間を割き、実行にあまり時間を割かない。そんな管理者に限って、計画づくりに多くの時間を費やしても何も改善されないことに驚くのだ」 いやいや、管理者たるもの肝に銘じなければなりません。言い換えれば、意思決定もセンスメーキングの影響を受け、センスメーキングは実行の中から生成されていくのです。OD的に言えば、実践と対話の連続(アクションリサーチ)によってこそ実質的な未来が生成されるのであって、計画から未来は生まれてこないのです。
集団変革つまりODにとって、何を変革すべきかということは、当然、当事者が最初に理解共有しなくてはならないことですが、それは当事者が置かれている環境をどのように認識し意味づけるかに影響を受けます。意味とは、進行中の経験を何かしら伝えるために会話文へと結びつけられた言葉によって生み出されます。しかし、言葉は生み出される会話を制約し(筆者注釈:ボキャブラリーがなければ会話がチープになる)、その会話を知るために押し付けられるカテゴリーを制約し(筆者注釈:自分が聞きたいように聞く)この会話プロセスの結論を保持するラベルを制約する(筆者注釈:自分で勝手に納得する)、という働きをします。要するに、言葉は大事だということです。コミュニティーを維持するには、経験を同じくする人たちが、使う言葉に同じような意味を共有しているからであって、新参者にとってはそれを理解するまでは、自分がそこに居られるかどうかについて非常に強い不安を抱きます。言葉は自分にとってのものですが、同時に、何よりもより大きな集団にとってのものでもあります。人は様々なボキャブラリーからセンスメーキングをします。しかしながら言葉は常に不完全なものであり、連続的な主題(話している内容/課題)に不連続なラベルを押し付けます。E.シャインが対話の重要性の中で好んで使っていたという「カモノハシ」の話を思い出します。カモノハシが初めて発見された時、科学者たちは侃々諤々の議論をしたそうです。これは哺乳類か、鳥類か、爬虫類か? しかし「哺乳類、鳥類、爬虫類のカテゴリー」は、現実そのものではなく、「現実を私たちが分かり易く認識する」ために考え出された仮定(勝手に貼り付けているラベル)であるということを忘れがちである、というものです。科学者の議論は、カモノハシはカモノハシであるという現実を忘れ、科学者たちが勝手につくった仮定に無理やり当てはめようとする思考に過ぎないのです。その人が使う言葉は、その人が見ている世界をその人が持っている言葉によって説明しているにすぎません。カモノハシの例のような「哺乳類か、鳥類か、爬虫類か」といったようなカテゴリーは、言語の習得過程を通して教え込まれてきたものです。便宜上、私たちが生きていくうえで重要である「外部の現実に対処するのを容易にする」ために、私たちが生活する「文化の中」で発展してきたものです。従って、その分け方は普遍的なモノではなく、他のメンバーは外部の現実を違ったように切り取っているかもしれないということに気づくことが大切なのです。
ワイク的に言えば、観察していることを構造化する概念(筆者注釈:何かに当てはめてみること)なしには、経験についての観察を文章で報告することなどできません。観察の説明は、認知そのものでなく企図した(筆者注釈:私が私の知っているフレームワークに当てはめた/あるいはそのフレームワークで解釈した)認知なのです。センスメーキングによって集団で話されている言葉の意味が変わってくる事例として、ワイクは「ペロポネソス戦士」から引用したWhite(1990)の説明を取り上げています。
『言葉は、その通常の意味を変え、いまや新たに付与された意味を受け取らざるを得なくなった。無謀な大胆さが誠実な同朋への勇気として受け取られるようになった;分別あるためらいは臆病をつくろうものに;節度は軟弱さの言い訳と受け取られた;問題をあらゆる角度から見ることのできる能力は、どの側かに立って行為できない無能さとなった;熱狂による暴力は男らしさに;(以下中略)。・・・穏健派の市民は両者の間に埋没していった。なぜなら彼らは抗争に加わらなかったか、あるいは(他者の)妬みが彼らの中立を許さなかったからだ』
Whiteは、言語の悪化が政治的・社会的悪化を伴うとは軽々に述べてはいませんが、言語の変質は行動の変質につながりうるものです。次回から、言語と組織特性の間の相互関係をどのような切り口で持ていけばよいのかに言及していきます。(続く)
参考文献:センスメーキング in オーガニゼーションズ
この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株)波多江嘉之です。