センスメーキングとOD⑥~組織におけるセンスメーキング2. 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-289~
前回のODメディアでは、組織のセンスメーキングに関するアイデアがどのように展開してきたかの歴史的確認をしました。筆者の独断と偏見で、55のリストから11のアイデアを取り上げました。今回のODメディアは、センスメーキング的組織論はあるかということに言及していきます。前回の最後に、「センスメーキングが一人ひとりの行動選択を促し、組織として動いていくのですね。」と締めくくりましたが、ワイクはどのように説明するのかに突っ込んでいきます。ディープな考察になるかもしれません。
ワイクによれば、センスメーキング・パラダイム特有の組織論はないといいます。とはいえ、それでも、組織とその環境の構築においてセンスメーキングが中心活動であることを認めるような組織の論じ方は可能であるといいます。Scott(1987)の考え方を引用し、組織は三様に定義できることを紹介しています。
第一に「合理的システムとしての組織」です。これは、組織とは「比較的特定の目標の追求を志向し、比較的高度に形式化された社会構造を持つ集合体」とするものです。
第二に「自然システムとしての組織」です。これは、組織とは「参加者がシステムの存在という共通の利害を持っており、その目標を達成するために非公式に構造化されている集合的活動に励んでいる集合体」とするものです。
第三に「オープンシステムとしての組織」です。これは、組織とは「利害集団の連合で、その目標は交渉によって生み出される;連合の構造や活動や結果は、環境要因から強い影響を受ける」とするものです。
みなさんは、どの考え方がしっくりくるでしょうか。ワイクは、この3つの順序は、環境に対するオープン性が次第に高まるように、また、システムを構成する要素間の連結が次第にルース(緩やか)になっていくように並べられているといいます。したがって、オープンシステムとして描かれた組織が、センスメーキングに最も関係があるといいます。それは、環境からのインプットに対するオープン性が高まれば、組織はそれだけ多様な情報を取り扱う。加えて、システムの構造が緩やかであれば、それだけセンスメーキングを行う主体が捉えがたくなるということになります。それは、私たちをして組織の理解を構造からプロセス(人々の関係性)に向けさせることになります。このようにとらえることは、何が外在し、何が内在するのか、そしてこの両方に応えるために我々は何者であるかといった問題に答えなければならないことを意味します。要するに、組織というもののとらえ方のあいまい性が高くなるほどセンスメーキングが重要となります。確かに、様々な人と緩やかなつながりの中で仕事をしていると、自分たちのアイデンティティをどのように定義づけ、置かれている環境とやっていることの意味をどのように共有していくのかということがとても重要になります。つまり、センスメーキングが共有されていないと期待するアウトプットにつながらないということになります。実務的な言い方をすれば、当たり前だけど、何度も何度も対話をして「私たちは何者か」「私たちは何をしたいのか」「私たちはどのように実行していけばよいのか」を確認していくことが大切ということですね。
この個々人の関係性を超えて、もっとマクロなとらえ方をしている人にWiley(1988)がいます。彼の分析用語をそのまま使うと、「間主観的:inter-subjective」、「集主観的:generic-subjective」、「超主観的:extra-subjective」となります。3つは以下のような意味です。
間主観的:inter-subjectiveは、“私”の考えや感情および意図(内主観:intra-subjective)が、会話の中で他者と共有され“我々”の考えや感情および意図に移行していくときに現れます。「分かりあえる感覚」といっても良いでしょう。しかしだからといって、それは社会的な規範が共有されるということではありません。集合意識ないしは社会構造へなっていくにはさらにもう一度の創発性が求められます。それが「集主観的:generic-subjective」です。Wileyは、組織を社会構造のレベルとして捉えています。社会構造のレベルに特有の性質は、間主観性から集主観性への移行です。
集主観的:generic-subjectiveでは、具体的な個人としての主体は存在しなくなります。具体的な個人間の相互作用のレベルを超えると自我は背後に退きます。社会構造としての組織は、相互に交換可能なパーツとして人をとらえます。そこでは人は、役割を引き受ける人やルールに従う人になります。集主観性を介したセンスメーキングは、組織分析の主柱です。例えば、テクノロジーの変化は職務役割や社会的ネットワークのあり方を変えていきます。そこでは特定個人はほとんど考慮されません。人々が互いに代替可能で、互いの活動や意味を借用できるときには、間主観性の出る幕はほとんどありません。とはいえ、テクノロジーが変化するときには、不確実性が増大します。なぜなら、古い常識が機能しないからです。そこではまた新たな間主観性がセンスメーキングの前面に出てきます。古い当たり前(集主観性)が全くなくなるわけではないですが、新しい主観が対話の中で間主観性となり、さらにそれが広まると新しい集主観性が生成されてきます。不確実性を管理しようとする相互作用は、間主観性と集主観性の両者から成り立ち、それが組織のセンスメーキング一般の特徴となります。私たちが日常使用する言葉でいえば、新しい常識と古い常識が戦い、その相互作用として組織の新しい常識が生まれるということでしょう。組織で何が起きているのかを分析するのは、この集主観レベルでしょう。
超主観的:extra-subjectiveは、組織の文化レベルを説明するものです。個々人の自我は、このレベルでは知る主体のない「純粋意味」となります。主体なき文化の体系とは、誰が言っているかに関係なく人々の集合体の中にあるシンボリックな現実というような意味です。例えば、私たちは資本主義の中に生きているとか、私たちの会社は競争が激しい実績主義の会社だ、とかというものです。
Wileyは、組織を一つの固有のレベルとは見ていませんが、ワイクは「組織化を間主観性と集主観性の間を行き来する運動と捉えています。ワイクによれば組織化とは、生き生きとしたユニークな間主観的理解と、初期の間主観的構築に参加しなかった人が身に着け、維持し拡大していく理解とが入り混じったものである、となります。なるほど、そうですね。会社の創業期から成長発展期における組織化のプロセスは、この説明がしっくり来ます。(続く)
参考文献:センスメーキング inオーガニゼーションズ
この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株)波多江嘉之です。