センスメーキングとOD①~センスメーキングとは 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-284~
ODメディアは、今回からカール・ワイクの「センスメーキング inオーガニゼーションズから学ぶ」をスタートします。センスメーキングは、一般的には「これまでの経験や出来事に対して何らかの意味づけをすること」あるいは「予期せぬ出来事が発生した時に、それまでの経験を活かして関係者の理解を構築すること」とされています。いずれにせよ、起こっている出来事に対してこれまでの経験をもとに意味づけすることです。それって、私たちの営みの中では当たり前だろう、歴史という中で起きたことを人々がどのように認知し、自分なりの意味づけをするのかは昔から語られ理解されてきたことだ、それをなんでわざわざ250ページ以上にわたって書かなきゃならない、と思うのですが、読んでみるとなるほどと思わざるを得ませんでした。もちろん、専門書であるので研究者や専門家向けのページもあり、会社や様々な組織で組織運営を実務として担っている人たちに、そこまでの学習をしてもらわなければならないのかと思うところもないわけではないのですが、組織や社会という様々な人たちの関係性で成り立っているシステムが如何に物事を理解し、だからこそその中で問題が内在し、あることがきっかけで認識が変化し新しいセンスメーキングが生成され、そして問題が解決あるいは解消されていくというプロセスを理解するには、カール・ワイクが言うところのセンスメーキングのプロセスを学習することはすごく役に立ちます。これはOD実践家を任ずる人たちにとって、あるいは組織や社会の責任ある立場にいる人たちには、やはりぜひ学習しておくべき事柄でしょう。筆者としては、できるだけ組織管理という実務の中で実践することを念頭に紹介していきたいと思います。もちろんそこでは筆者なりのセンスメーキングが反映されるかもしれません。では、センスメーキング inオーガニゼーションズの出だしに従い、ワイクが取り上げている「幼児虐待症候群」にまつわる物語を、中略あるいはまとめをしながらですが、取り上げてみたいと思います。
『幼児虐待症候群(The Battered Child Syndrome;以下BCS)とは、幼児や乳児が受けた外傷で、それに対する両親の説明も要領を得ない。要するに両親からの暴行であるが、外傷は多くの場合X線によってしか発見できず、医学界で認知され、米国で刑事罰の対象とされるまで長い時間がかかった。BCSは小児科の放射線医であったJohn Caffeyの1946年の論文で初めて触れられた。この論文は、小児科のジャーナルではなく放射線学のジャーナルに掲載されたため、小児科からはあまり注目さなかった。その後、1953年に3症例の報告、1955年に12症例の報告、1957年に再びCaffeyによる報告があったが、小児科の専門外であり、“専門家の死角”に依然として気づいていなかった。漸く、1961年10月アメリカ小児学会においてBCSの公開討論が行われ、そこで77人の地方検事と71の病院による749例もの全国的な調査データが報告された。そして、その調査結果とそれに関する論説が「アメリカ医療協会会報」に幼児虐待症候群というタイトルで報告された。公機関の対応は素早く、2~3年を経ずして全米50州で、BCSの疑いのあるケースは法律によって報告が義務付けられた。1967年までには、該当者が7,000人もいると推定された。この推定数は、1972年には60,000人に。1976年には500,000人にまで達した』
このどの点がセンスメーキングの事例になるのでしょう。ワイクの説明に沿って以下箇条書きに挙げていきます。
1. 進行中の事象の中に、誰かが、何かに気づく。何かは、シックリこないとか、辻褄が合わないといったものである。
2. その辻褄が合わない手掛かりは、誰かが、すでに過ぎ去った経験を振り返ってみるときに光が当てられる。
3. もっともらしい推測(BCSの場合は、両親が外傷を放っておいた)が、その妙な手掛かりを説明するために仕立てられる(ひょっとしたらという、仮説が述べられる)。
4. 推測をした人は、しかるべきジャーナルまたはメディアに論文という形でその推測を公表する。そしてそれが他者にとって医療という世界の環境の一部となる。つまり、彼または彼女が、他者が今気づくべく、そこに存在する対象を創造する。
5. その推測は、しかし、広範囲な注目をすぐには引かない。(その観察は、小児科医ではなく、幼児の両親とは日頃接触がない放射線医師によってもたらされた。そのような接触如何が問題の構築や認知にとって重要である)
6. この事例は、アイデンティティと世評の受け止め方が色濃く出ているので、センスメーキング的なのである。
中心性の誤謬という言葉があります。これは「私がその事象について知らないのだから、それは生じていてはならない」という、専門家が陥りやすい認知バイアスです。中心性の誤謬は、それに陥っている人の好奇心にブレーキをかけるばかりではなく、そうした人の心の中に問題への敵対心というスタンスを創り出してしまうという点で、弊害以外の何ものでもありません。BCSの場合は、小児科医が親に起因する精神的障害と診断するのに抵抗したのは、親の危険性に対する彼らの評価が極めて間違っている可能性があることを、小児科医自身が信じようとしなかったことにあります。このようなことで、BCSはセンスメーキングの一つの例なのです。思い込みの世界ですね。
ワイクが言うところのセンスメーキングには、7つの要素が含まれます。
1. アイデンティティ構築に根付いたプロセスである(identity)
2. 回顧的/事後的な中に意味を見出すプロセスである(retrospect)
3. 実行して意味がある環境を創り出すプロセスである(enactment)
4. 社会的接触・関係性の中で生み出されるプロセスである(social contact)
5. 常に進行中のプロセスである(ongoing events)
6. 抽出された手掛かりを基にしたプロセスである(cues)
7. 正確性よりももっともらしさが主導するプロセスである(plausibility)
ワイクによれば、BCSは7つの特性を含んでおり、BCS症候群が発見された場は、いくつかの点で組織的であるといいます。比較的公式の相互に連結しているルーティンな仕事を通して働く(これを集合的行為のネットワークでともに結び付けられている集団という)小児科医と放射線医師は、子供たちの健康を守る仕事をしています。治療に携わる人たちは、その役割や専門的知識・能力についての理解を共有し、かつ利害集団の連合体として仕事をしています。そして、仕事のやり方や役割について十分に確立しているため、人々は互換可能です。このような組織化は、いずれも行為に調和をもたらすように作用しますが、ワイクが言うには、これはセンスメーキングには“見えざる手”として働きます。つまり、緊密にネットワーク化された組織は、その密度ゆえに中心性の誤謬が助長され、その緊密な結合が予期せざる足かせとなるというのです。ワイクは、“ニュース”を今しがた聞いた人が、そのような事柄が存在するのなら、自分こそもっと早く聞いていたはずだとの理由で、そのニュースは信用できないと結論づけ、ニュースの価値が割り引かれるというメカニズムは看過できないといいます。要するに、専門家を自任する人たちは、それゆえに自分の情報ネットワークに引っかからない情報に対しては感度が鈍くなる傾向があるのです。組織には、インセンティブと測定という統制手段がありますが、異常を報告するインセンティブや、反対に報告しなかったことへのペナルティーがセンスメーキングに影響を与えます。組織はまた、独自の言語とシンボルを持っていて、それがセンスメーキングに重要な影響を及ぼします。BCSの例でいえば“不適切な手当て”という表現と、“幼児虐待”という表現の明白な違いがこのことを示しています。要するに同じ現象であるにもかかわらず、組織によってそのことに対する表現の仕方(選択される言葉)が異なるのです。“幼児虐待”という表現は、自分の子供を殴ったり、殺したりしている親の生々しい姿を想像させます。そしてそのイメージは、怒りと憤りを想起させ、人々に何らかの行動を起こさなくてはならないと思わせるには十分です。従来と異なる生き生きとした言葉は新しい可能性への注意を呼び起こすということであり、より多様なイメージを喚起できる組織は、貧困な語彙しか持たない組織よりも適応的なセンスメーキングをするだろうということです。(続く)
参考文献:センスメーキング inオーガニゼーションズ
この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株)波多江嘉之です。