組織で起こる認知相違問題を紐解く②

さて前回に引き続き、認知相違について紐解きを続けていきます。

(前回の記事はこちら

前回は認知相違問題によってあまりよろしくなくなっていく組織をどうしたらよい方向にもっていくことができるか、という問いで終わりました。それを考えるためにももう一段深掘りをしていきましょう。認知相違の中にも割と扱いやすいものと扱いにくいものがあるからです。

こうしたことを知っておくことによって、組織が機能不全に陥っていくことを防ぐことができたり、組織を活性化させる打ち手の検討を効果的に進めることができます。

ということでそれを考えるために、そもそも認知の構造に目を向ける必要があります。私たちの認知はどのような構造で作用しているのでしょうか? 言い換えると私たちの認知=判断・解釈のフィルターは何からできているのでしょうか?

認知とは、当人独自の判断の偏り、傾向ともいえますが、それに関連する要素としては5つあります。

①知識:どのような知識をもっているか?

②思考のクセ・思考道具(専門性)のパターン:どのような思考の枠組みを持っているか、考えるためのフレームを持っているか?

③価値観:どのような好みや信条をもっているか?主に「〇〇とは××だ」のような考えのこと。

④防衛機制:どのように自分を心理的に防衛するか? 不安や恐れを感じた時に生じる特有のモノの見方(他者否定や自己否定など)。主に回避的な行動や見方になる。

⑤認知バイアス:いかに身を守るか、いかに楽をするか? 人間という生物が生存のために身に着けている習性。例)確証バイアス・・・自分に都合のいい情報だけ無意識に集めてしまう。

これらを図にすると、下図のような形になり、これを認知ピラミッドと命名しています。

ピラミッドのという形の意味は、下に行けば行くほど自覚しづらく、その認知の傾向を自覚的に修正したり、拡張したりすることが難しくなるということです(要は変わりづらいということですね)。

 

 

 

行動変容にはレベルがあって、

  • 知識レベル → 知識があれば行動が変わる
  • 能力レベル → 技能やスキルを身に着ければ行動が変わる
  • 価値観レベル → 自分自身が持っている価値観やマインドセットに変容が起これば行動が変わる
  • 生理レベル → 習慣や生理のレベルで変化が起きれば行動が変わる

と言われていますので、おおむねこの行動変容のレベルと認知のバイアスピラミッドはおおむねオーバーラップした考えとも言ってよさそうです。

ここで触れておきたいポイントとしては、防衛機制についてです。防衛機制が働いているときの認知のようなパターンとは、例えば、相手が悪いと断じて、他者を攻撃したり、どうせうまくいかないのが当たり前の状況と判断し、合理化したり、自分は悪くないと言い訳したり、不具合を認められなかったりするなどです。外から見るとあまりよくなさそうな認知パターンが生まれていそうな気がしますよね。

ただこれは文字通り「防衛」なので、何かを守ろうとしているわけですね。もちろん身体的な危険から守ろうとする、という防衛もありますが、何を守りたいかというのはこれもまた人それぞれになります。防衛機制は、もちろん万人共通的な苦しみからの防衛という側面もありますが、特有の価値観を棄損されることの防衛という側面もあります。

そう考えると防衛機制も一つの価値観の現れ方という解釈もできます。そうした価値観と防衛機制の相互作用によって、接近的(主に積極的、主体的)認知行動、回避的(主に消極的、受動的)認知行動というように分かれていきます。

認知相違の一つのパターンとしては、自分の価値観を純粋無垢に疑わないという認知行動が生まれているケースがあります。そういう場合は、価値観を良かれと思って押し付けてそれでコンフリクトが大きくなり、信頼関係が棄損されたり、と問題が起こります。

認知相違のもう一つのパターンとして、本当はこうしたいというAという価値観もあるが、こうでもありたい(こうはなりたくない)というBという価値観が競合し、防衛的な認知が生まれているというようなケースもあります。こういう場合は、本当は本質的にはみないといけない現実を、見ないように、あるいは「たいしたことないさ」と軽い出来事であるかのようにふるまい始めます。

双方のパターンが相互作用を起こして、コンフリクトが起きて合意形成がなされなかった問題自体が防衛的な認知によって、着手しづらい(着手を回避したくなる)問題になっているというスパイラルも生まれます。

こう考えると非常に複雑な相互作用をもって認知相違問題は深刻化していくことが分かります。

ではどうすればこうした認知相違問題を組織としてうまく扱えるのでしょうか?

まず言えることはこうした深いレベルでの認知構造を考慮した施策でないと有効に機能しないということが言えると思います。 情報共有(知識レベル)、同じ土台やフレーム(能力レベル)で議論をして意思統一をはかろうとするのももちろん有効なとかもあるのですが、価値観レベル、生理レベルに対する打ち手が求められるところだと思います。

また次回に続きます!