組織で起こる認知相違問題を紐解く①
日々組織コンサルタントとしてクライアントの支援をしておりますと、組織問題の本質とは何だろうと考える瞬間が多いです。一人一人はデキる一だったたり、いい人だったりするのですが、組織となるとちょっと違う様相になります。組織であるこそ生まれてくる問題というのが確かにあるように思います。
そもそも組織というからには一人ではなく人が集まって何かをするという性質をそもそも持っています。複数の人が何かしら一つ(複数あるケースもありますが)の共通目標に向けて行動をかみ合わせるということが必要になるわけですが、この性格を持つがゆえに様々なドラマが生まれ、いろいろな問題も生まれてきます。
そうした問題の根底に横たわっているのが、働いている人たちそれぞれの「認知」が異なるという構造です。ざっくり言うと、組織の中で、同じ事象に直面しても、
- そもそも問題かどうかの判断
- 何が問題なのかの判断
- 問題の原因の所在に対する判断
- 解決策として実行すべき事柄の判断
などなどが、人によって異なるという構造ですね。
そもそも認知とはどいう意味意味でしょうか? wikiによると、
「認知とは、心理学などで、人間などが外界にある対象を知覚したうえで、それがなんであるかを判断したり解釈したりする過程のこと」と説明があります。
つまりは知覚する対象物(要するに、何かしら起きている事象や出来事)は同じでも、判断や解釈する過程が人によって(当然ですが)異なるので、合意形成できなかったり、コンフリクトが起きてやろうとしていることが前に進まない、などの問題が起きてきます。
もちろん、人間だもの、といった感じで私たちは自分自身の認知=ものの見方のクセからは完璧に離れることはできないので、こうした認知相違問題は至るところで起きていますが、特に組織の構造上起きやすい認知相違のパターンはいくつか分類することができると思います。
認知相違の問題のパターンと悪影響を棚卸ししてみると・・・
①認知相違が特に生まれやすい場面
– 部門間/階層間・年代間/新規・既存
②認知相違が生まれやすい局面
– 役割に対する認知相違:誰が何をどこまでやるべきなのか
– 問題解決に対する認知相違:現状の認識/目指す姿の認識/要因についての分析/何をすべきかの認識
例えば、①の新規・既存などでは、認知相違によって下記のようなことが起こります(実際の私がクライアントを支援する中で体験した複数の出来事をフィクションとして再編集しています)
「新しい事業の売り上げを伸ばさないと先々の経営に影響するために新規分野への開拓を進めているA社。そこで新規分野の営業展開をけん引するBさんはどんどんリソースを投入すべきと考え積極的にいろいろな部門の協力を得ようと駆け回ります。
しかしそれをみた既存事業の責任者であるCさん。新規分野の重要性はもちろんわかりますが、足元の既存事業の強化も考えねばならないし、これまで蓄積してきてしまった組織的な課題もある。それらを解消しないことには既存事業の強化もできないし、新規分野の活動強化もできない。
しかしBさんは、どんどんリソースを新規に持っていこうとする。おかげで組織はぐちゃぐちゃだ!と。一方でBさんは、これまでそうした現状優先視点に凝り固まってきたからこそ今まさに新規分野を急がねばならない状況になっている。Cさんはまだわからないのか!と。」
階層間でも、方針を理解してくれないと感じるトップ、言うこと聞いてくれないと感じるミドル、提案しても却下されると感じているメンバーといった構図で立場による認知相違問題が生じているケースが多い印象です。
結果として施策が前に進まない、組織が活性化しないというのはもちろんですが、当然の帰結として離職率は高くなっていくでしょうし、特に優秀な人材ほど脱出していくと思われます。
認知相違問題を放置すると怖いことが起きます・・・
さらに、もっと本質的に怖いことがあります。認知相違問題を軽視したり、取り扱いを間違えると陥る大きなリスクといってもいいかもしれません。
それは、認知相違問題は固定化しやすいという事実です。これは、私たちが持つ認知の性質からも想像がつくと思いますが、自分自身がどのように物事を解釈するかという認知パターンを常に意識し客観視するのは非常に困難が伴います(ほとんど無理だと思います)。
別の言い方をすれば、私たちは自分の「認知の奴隷(支配されている)」という状態がデフォルトだと思ったほうが良いです。ということは、そこまで当たり前になって意識しづらい認知からうまれている問題は容易に変化させるのは難しいといえるでしょう。
また固定化しやすいということは長期化しやすいともいえます。変わらないからこそ問題は解決されずに長期間経過していきます。
これだけでも怖いわけですが、さらに怖いことに、問題が長期化すれば、それは「当たり前」になります。問題を問題と感じなくなるということです。問題と感じればそれについても考えねばなりませんが、解決が難しいので正直考えたくありません。
すると「まあ多少は不都合はあるが、大きな問題ではないよ」という具合に、問題があることを隠蔽し始めます。
こうなるとみんなで一斉に、問題なのに問題じゃないかのように扱いだしてしまうので、それはそれは活性化しません。
何かあたらしいことをやろうとしても、なんとなく口に出してはいけないと感じる問題を避けながらなんとかしようとするので、一直線に目標に向かうのではなく、触れてはいけないような問題を回避しながら進むという無意識にゆがみも生まれます。
実行力が乏しくなるので、問題解決が進まず新しい問題も蓄積しては、見て見ぬふりが続きます。
さあ、組織の問題をこうやって文字で描いていると日々接しているはずなのに怖くなってきました(苦笑)
最も怖いのは、こうした組織で働きたいと思う人はこれからますます少なくなってくるのではないかという現実です。
活力があって優秀な人ほど辞める、やろうとしたことが全然進まない、面従腹背が横行する、といったあまりよろしくない組織をどうしたら解決できるのでしょうか?
また別の記事で探索していきたいと思います。
本記事をお読みいただきありがとうございます。
記事に対するご質問やご意見や認知相違問題が起きているがどうしよう?とか、こんな風に対処しているなどのアイディアがございましたら是非下記よりお気軽にご連絡ください。