わかっているけど「傾聴が難しい」問題を考える
今日は「傾聴」について考えてみたいと思います。コミュニケーションにおいて信頼関係を構築することはとても大切ですが、そのために重要な考え方として「傾聴」があります。アクティブリスニングという言葉で聞いたことがある人もいるかもしれません。
傾聴とは、相手の話に関心を持って、共感を示しながら、全身全霊で「聴く」ことです。単に言葉を耳で聞くだけでなく、相手の気持ちや意図を理解しようとする姿勢が大切だとよく説明されます。
考えてみれば当たり前ですが、誰もが「話を聞いてもらいたい」「わかってもらいたい」という気持ちを持っています。それも「より深くわかってもらいたい」と思っているわけですよね。
私自身、しっかり話を聞いているのに、「ねえ、話聞いてるの?」と言われたことがあります(苦笑)。きっと私だけの経験ではないと思いますが、、、「深く理解してもらえている」と感じられることが、コミュニケーションの満足感につながっていることがよくわかります。
傾聴は「相手の靴を履く」というメタファーでよく説明されます。相手の立場に立って考えるということですね。でも、相手の靴を履くためには、まず自分の靴を脱がなければなりません。これは傾聴的に関わる際の心構えをうまく表現していると思います。
傾聴のスキルは練習やトレーニングで上達します。多くの人が研修でこの手のトレーニングを受けたことがあるでしょう。ただ、どこまでいっても「分かっているけれど難しい」という問題にぶつかることも多いのではないでしょうか。
私自身も同じ悩みを抱えています。特にビジネスの現場で活用される傾聴には、二つのステップがあると考えています。まず「傾聴という概念を知り、その重要性を理解する」段階があります。次に「日常のあらゆる場面で傾聴モードでいる」という段階です。そして、この二つ目が本当に難しいんです。
自分自身を振り返っても、仕事や話し合いを振り返ると、「あのときもっと傾聴すべきだった」と思う瞬間がたくさんあります。仕事だけでなく、子育ての場面でも同じです。私は4歳の息子がいるのですが、その対話で、傾聴の大切さと難しさを痛感することがよくあります。
子供の話をしっかりと聞くこと、頭ごなしに押し付けないこと。これを否定する人っていませんよね。大事だとわかっているわけです。しかし大切だとわかっていても、実践するのは本当に難しいですね。
傾聴を邪魔するものの正体を考察:
そこで、傾聴を邪魔するものは何なのか考えてみました。それは自分の中にある「モヤモヤする感情」だと気づきました。このモヤモヤの正体を言語化するとしたら、「自分の思ったような状態と現実の状態が違う」ということなのかなと感じます。
例えば、相手にこうしてほしいという期待や、そのコミュニケーションで得たい成果があるのに、それが得られなさそうなとき。子供の場合なら「ちゃんとお片付けしてほしい!」とか。そんなときにモヤモヤが湧いてきて、傾聴ではなく押し付け的なコミュニケーションになってしまうという状態ですね。ビジネスのコミュニケーションでも同じことが言えますよね。
また、「この人はこうだろう」「これがわかっていないのだろう」という「決めつけ」も傾聴の妨げになります。そして、ビジネスでも家庭でも常に感じる「時間的プレッシャー」。これらの「相手への期待」「決めつけ」「時間的制約」が、傾聴モードになるのを邪魔してしまうものの正体ではないかと感じています。
もちろん一足飛びに解決できる問題ではないのですが、個人的には、自分が持っている「相手への期待」を言語化するのが有効だと感じています。「自分はこの人に何を期待しているんだろう?」と自問することで、自分の考えをいったん横に置きやすくなり、傾聴モードに戻りやすくなります。
傾聴は日々の修行のようなものかもしれません。ただ、相手の立場に立って考え、深く理解しようとする姿勢は、やはりより良い組織づくりやコミュニケーションには必要不可欠だと思うので、なんとか実践しやすいルートを作れないかと考えている今日この頃です。皆さんは、日々の生活の中で傾聴を意識していますか?そしてどんな難しさを感じているでしょうか? ぜひ記事の感想やフィードバックととともに教えていただけると嬉しいです!