モメンタムをマネジメントする。 ソモサン第315回

 前回は場をもって心的なエネルギーを充填する話でしたが、もちろんマネジメント的にそれをする可能です。特に外に出る気力もない人や発想が出ないほどに追い詰まった人には他者からのエネルギー注入は喫緊のテーマになることがあります。
 では如何にして充電のサポートをすれば良いのか。それには一にも二にも関わることがスタートラインとなります。まずは「人を見て法を説け」の如く、対象とする相手の人となりを掴んで、その人に出来る限り応じたアプローチが望まれます。でもその技法はこれまでもご紹介してきましたので、それは過去のログに任せるとして、今回はリアルな関りについてご紹介をしてみたいと思います。
 今ダイアモンド社刊の「伝え方が9割」なる書籍がベストセラーになっています。一読して思うのはとても経験的な苦労から述懐されているな、ということです。私的には共感できることが多々あります。
 でもそれもそのはずで、著者のキャリアが自分に酷似しているのです。私は隠れ理系で、20代の前半に生き方の方向転換をした経緯を持っています。勿論キャリアには載せていません。どうでも良いことだからです。でも思考法などは未だにその影響を受けているのは確かです。話を戻しましょう。著者は私同様に幼少から青年期に欠けて転校の連続で、常に新しいところでは「変わったのが来た」とか「好奇に捉えられる」など異端扱いされ、時にはいじめ的な憂き目にも会い、基本対人にはネガティブでかつ用心深い人生を送りました。
 先だって高校の同窓会があって「お前は目立たなかったなあ」的な声が聞こえました(特に女性陣)が、目立たなかったのではなく目立たないように振舞ったというのが本音でした。小学生の時は快活的でしたが、転校の毎に人と話すのが億劫になって行きました。理系に進んだのも親が技官だったこともありますが、数字は思い通りになるというのが本音で、毎日本を読んでいるのが常態でした(それは今非常に役立っていますが)。
 特に大阪から東京に転校した際の余りの風土の違いには精神的ショックが強く、内向性への揺らぎによってみるみる思考が働かなくなり、勉学も頭に入らない状態に陥ってしまいました。その影響はこの年になるまで響いています。
 ともあれそうこうしている内にどんどんと人へ自分の思いを伝える技術も失われていきました。私の場合大阪的な云いまわしや表現、伝え方が考え方のレベルから全く異端的な状態に陥り、何をどう話して良いかすらも分からくなってしまったのです。そして東京では全く伝え方が下手な人間に成り下がってしまいました。そして自信も失っていきました。
 ですから今でも人との関わり方や人への関心、人との関係を重要視し、それを大事にするという価値観は人生の中核になっています。対人に雑な人間は生理的に許せません。特に利他的なもの見方や考え方には非常に敏感です。
 そんな私の思いが浮き出てくるような本の出だしだったのです。これがベストセラーになるということは市井にもそういった人が増えているということでしょうか。そんな中で著者は私同様本音にある人指向に心性を戻して、自らのモメンタムを強めるべく模索した中でそのツボとコツを見出します。そしてその内容はとても当たり前の列挙です。でもその当たり前に目が向かない人や喘いでる人がいるというのが強い印象として心を打つというのが率直な実感でした。苦労した中で経験的に身に付けたからこそ、この当たり前は強いモメンタムを持っています。以下にその一端をご紹介してみましょう。皆さんも自己点検しながら、改めて意識的に使ってみて、そのミラーリングを体感して頂けますと幸いに思います。
 純粋に感謝の言葉を使う、また感謝の言葉を使って相手に影響する。
例えば「ありがとう」とか「ごめんなさい」といった言葉です。皆さんもご経験あるやもしれませんが、車内放送なので問題が生じた時、「○○で」と理由を述べた後、「大変申し訳なく思います」と「論理と云うか思考的」な言葉で締め括る情景に出会ったことあると思います。問題はそれで気が収まるか、です。「ごめんなさい」は感情的な言葉です。人は感情的な言葉は否定し難く捉えます。そして自分の気持ちを認めてくれる人に対してはサポートしたいと思います。会社の失態を個人が拾うケースはまさにこういったやり取りの中で生み出されます。
 同様な言葉に感謝を表す「ありがとう」があります。人は自分に好意を示されると断り切れなくなります。「感謝致します」では通じません。
 皆さん如何ですか。想起する人が日常動言い回しをしているか。感情的な言葉を使う人や感情的なやり取りが出来る人に人は集まります。皆さんもご存じも川野先生は非常に知的な方ですが、同時にとても愛らしい感情的な表現をしたり、そういう言葉を情感を込めて口にされます。あの方が多くの人から好かれるのはそういった振る舞いだと痛感しています。
 また相手に対して出来る限り固有名詞に近い表現をするというのも技術です。一番良いのは固有名詞そのものです。「○○さん、よろしくお願いいたします」。人は自分を特定する言葉を使われると「自分を特別に見て貰えている」と感じます。それは集団帰属欲求の充足を高め、ひいては信頼感を高めます。そういった相手を何故か身近に感じてしまうのです。そうすると何か応えたくなります。少なくとも身近と思う人には断りがし難くなります。
 著者はこのように例えば人に物事を頼む時には、感情言葉を使う。固有名詞を入れるといったアドバイスを書いています。そして、手順として
①自分の頭の中をそのまま伝えない(ストレートはダメ)。
➁相手の頭の中を想像する(敵を知る。人と場を知る)好き嫌い、キャラクターなど)
③相手のメリットと一致する内容を相手の文脈で言葉を作る。
と纏め、その切り口(ツボ)として、
①相手の好きなこと(メリット)をついて作る。
➁相手の嫌いなことを敢えて出して、それを回避するように作る。
③相手に選択の自由を与えるように作る。
④相手が認められたいと欲すると思うことを作る。
⑤相手にあなた限定(特別)という気持ちを与える。
⑥一緒にやる感を出す。孤立化させない
⑦感謝を伝える。感謝で気持ちをポジティブ化する。ノーと言えない様にする
といった具合に整理して、最後に「人には誰しも心の中に裏表を持っている。面従腹背のような逆の気持ちを持っている、うまくそれを利用する。相手の気分を良くすれば表はルール的に云っても、陰や裏で利便を図ってくれる」と述べています。その上で「頼みごとは相手との共作である」と喝破しています。
 私は経験的に「その通り」と思いますし、事実日々の中でこのやり方を使っています。体験的に「いじめの中で生き残る」という苦労の中で身に付けた技能です。
 この本は私的には人生のチャックリストのような気持ちで読み進めた内容でした。
 皆さん、モメンタムはまず実践行動です。考える前にやってみて下さい。試してみて下さい。必ずや何らかのミラーリングを得るはずですよ。
では次回も何卒よろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?