モメンタムをマネジメントする。 ~ソモサン第316回~

 学生時代は物理だの法律だのとどちらかと云えば論理軸の生き方をしていた私にとって、就職後に出会った「感情の世界」をどう取り扱うかという命題は新鮮かつ難解なテーマでした。その中で私が一番興味を抱いたのが、果たして「頭が良いとはどういうことか」ということでした。巷間では良く「あいつは頭が良い」とか「あいつは頭が悪くて使えない(こっちの使い方のほうが多いような)」といった言い回しがされるのですが、私的にはどこか違和感を感じる場面が多々ありました。例えば「えっ本当に彼は頭が良いかなあ」といった気持ちです。

 その頃(40年近い前ですが)、会社の資料で「能力概念」という内容に遭遇しました。その骨子は、「能力にはアビリティと称される個々人が単独で発揮する能力とコンピテンスと称される他者との関係で発揮される能力があり、アビリティには、それぞれ知的、動的、情的なものが三分類される」といったものでした。私的には「なるほど」とは思いますが、今一つ腑に落ちていませんでした。

 それがこの年(60歳も過ぎてから)になってある本をきっかけに疑問が「スッと」解消したのです。その本とは「頭がいいとはどういうことか」というずばりの表題の本で、東工大の助教(現在はお茶の水女子大)を務められている毛内拡さんというが書かれました。この先生開口一番に「私は脳科学の研究をしていますが、それは心理学ではなくて、神経科学の領域です」とおっしゃりる私的にはある種気分の良い方です。昨今脳科学と銘打って心理学を語る売れ線狙いの学者崩れが多いのですが、非常にさっぱりとしていらっしゃいます。こういった先生が「頭がいいとはIQや記憶力といった知力だけではなく、アートやクラフト、はたまた運動能力、更には他者の気持ちが分かるといった感情認知能力なども含まれている」と喝破されたのです。分かりやすく言えば、「料理の腕が良い」とか「美しい絵が描ける」といったことは一見「頭の良さ」とは異なるのように感じるけれども、「それらは全て脳内の反応処理活動が為せること」であり、そういった動きが優れているということは「総じて頭の働きが優れているからこそ出来ること」であるということです。

 まさに目からうろこの話であり、私自身長年の世間から擦り込まれる「思い込み」「バイアス」にどれだけ浸食されていたかが刮目された一瞬でした。頭の良さを知的なものに限定させて捉えているのが世間です。これが人の心の在り方やそこからの生産性においてどれだけの損失を生み出しているか、測り知れません。

 このことは人がそもそも「何を大事にしているか」という価値観と密接に関係しています。例えば「頭がいい」といった時、ある人は「知的能力」に軸足を持った価値観であれば「勉強ができる」とか「演算処理が速い」とか「記憶力が高い」といったことになるでしょうが、「感情認知力」に軸足を持った人であれば「人の気持ちが分かる」とか「自分の感情に気付いている」とか「状況が見える」といったことになります。そう着眼点が異なってくるのです。なるほど「頭がいい」とは人によって微妙に違いがあるのが当たり前なのです。また「頭がいい」とは本来多義的な存在であるということです。そうやってみると日本人は何とものの見方が一元的で、それが生産性や盛り上げの足を引っ張っていることかが浮き彫りになり、とても悲しくなってきます。

 そしてこの自明の理は。例え理知に優れた人であっても、角度を変えると「頭が悪い」ということがあるということでもあります。なるほど長年の私の疑問が氷解する起点でした。「学歴は良いのだが、何であんなにも頭が悪いのだろう」といった積年の疑問は、「頭が悪い」という中には感情認知力おける「鈍い」ということも入るということが腹落ちした瞬間だったわけです。私が大事にする価値観は「利他」ですから、それに秀でた動きをする人が「頭がいい」の判断基準だったというわけです。

 毛内先生は「頭がいい」は非常に個性としての先天性に影響されるが、後天的に学習で成長も促せると説明しています。紙面の都合でそれは載せませんが、ぜひ本を読んでみてください。「頭がいい」とは受容能力がポイントです。受容できる人は成長する。出来ない人は成長も出来ない、それだけの話です。

 さてこの価値観ですが、これは対人の中では「協働」に対する「握り」の在り方に直結します。企業では「中核的価値観」を重要視しますが、それは企業が「価値観の一致こそが協働の原点」と捉えているからです。具体的には協働には「運命体」と「利害体」の二分類があります。運命体はお互いが利他的に関わり合い、相乗性が生み出されます。一方で利害体は相互に利己的に、損得で関わり合いますから相乗にはなりません。むしろ片方が利他であれば、バランス的にエネルギーを抜かれるような状態になってその人は疲労困憊になります。組織ではそういった不公平が起きないように「この線だけは運命体で行きましょう」と組織としての価値観を打ち出すわけです。しかし当然の話ですが、ただ打ち出すだけでは無意味です。きちんと現場が咀嚼して、それを気持ちで受け止めていなければ無効化となります。何故ならばそこでいうエネルギーとは「モメンタム」と称される「感情的なエネルギー」だからです。エネルギーは高い方から低い方へ流れるのが摂理です。つまり感情的なエネルギーは「熱い」から「冷たい」に流れるということになります。そしてその熱は徐々に冷めていき、やがて均衡するのが常です。それでも出し続ければ熱かった方はガス欠状態になります。そう運命か利害かは理屈ではなく、感情における関りが中心になるわけです。ですから単に理知的に共有するだけでは全く意味をなさないわけです。気持ちをどう取り扱うかが軸足なのです。

 昨今先にも取り上げたように社会的な「頭がいい」の歪みによって理知的評価偏重が起き、感情認知力の醸成(殆どが家庭教育や幼少教育が肝)が為されず、人の気持ちに鈍感ないわゆる「大人の発達障害」と称される人材が増えてきている、そしてそういった人が社会の中心的な役割を担うといった歪みが起きてきています。運命体が築き上げられなくなってきた背景にはそういったことが影響しています。企業においても結束力やロイヤリティが下がって、相乗性が失われてきているのは「頭がいい」に対するズレがあります。人は無いものは得ようと努力します。「自分が頭が悪い」と真摯に受け止めれば努力し成長します。「自分は頭がいい」と狭い価値観にしがみついきて自己防衛的に頑なになれば、応じて成長もしません。

 少なくとも私的には価値観が異なる集まり、運命体でない状況においてエネルギーを供給し続けるのは経験上不健康だと思っています。利害体は成長しない集まりですが、利己ゆえに自分がマイナスにならないことが第一義の集まりですから、相互牽制や距離感が大事だと発想するのは必然です。それよりも価値観が違うということは、人生の意味の置き所が合わないということで、何を言っても嚙み合わないわけでまさに暖簾に腕押しです。ましてや利他を標榜する私などは虚しさで何れ病んでしまうことになります。だからこそ価値観が違う集まりは利害体になるわけで、利害体においては「ギブアンドテイク」というよりも「ギブオンテイク」でないとバランスが取れなくなります。「ギブオンテイク」とは「貰う分は返す」「こちらから積極的に提供する必要はない」という関係のことです。確かに価値観が違う人に積極的に関わることほど空しいことはありません。でも今の日本の若者はそういった信念が基調の人が蔓延っているのが現実ですから、例えそれによって求心力が得られず、結果として競争力の低下からグローバルで勝てなくても、円がどんどんと安くなっていったとしても、それは詮無い話としか言いようがありません。

 しかしそうなっている今、それを盛り上げるマネジメントは本当に大変です。私も利己的な利害体で献身することがどれくらい負担になるかは経験上骨身に染みています。経営責任者としては使命として頑張りましたが、本当に大変でした。今日のように利害体として利己が先に立つ人間がどんな振る舞いをするか、その集合がどういった空気を作り出すか、は痛いほど経験してきました。そして今の心境としては、人生下り坂に入って無駄にエネルギーを発散してここでガス欠になっても仕方ありませんし、ただ利用されるだけの存在として合理的に扱われるのではそれこそ「頭が悪い」典型だから、自分にとって楽しい価値観が合う世界に再展開していこうといったところです。でも本当にもう10年早く毛内先生の話を知っていればもっと良い判断が出来ていたなあ、と思うところがあります。皆さんはこのコメントをみて如何思われるでしょうか。

 最後にオーセンティックな書き方をしましたが、6月をもって社長を引き、会長という支援的な立場になりました。後見という言葉もありますが、私は次世代に過去を影響させる気もないので、静かに必要とされる時だけに助言する立場に身を置こうと考えています。でも出しゃばり的に必要以上に関わる姿勢は辞めとこうと考えています。正直体内から思いによるバイタリティが湧いて来ない感覚を抱くようになりました。私なりに見渡すと利己の人は70代になってもそれ以上になってもバイタリティが溢れているようにも感じています。私も価値観を転換する段階の年になって来ているのかもしれませんね。

 ということでJoyBizコンサルティングとしての顔的な色を持ったブログコラムである「ソモサン」は今月をもって休止したいともいます。これまで皆様ありがとうございました。

 今後は完全に身を引くかと云えばそういうわけでもなく、モメンタムという概念を普及することで、世の中の組織体が再び運命体を取り戻し、関わる人たちがJoy(楽しい)な日々となるべく助力していきたいと思います。そのために「日本モメンタム協会」を設立しました。これはビジネスシーンだけが組織ではないということや個々人でも「活性」は必要と思うので、より大きなドメインを対象に活動を展開しようと考えたからです。

 その第一弾として、協会の方でブログコラムを再開する所存です。今だホームページが立ち上がっていないので恐縮なのですが、出来次第サイトの中で再開します。何卒よろしくお願い申しあげます。

 皆さんとも、また新しいサイトの方でお会いすることを楽しみにしております。

さて皆さんは「ソモサン」?次回はどういうブログ名にしましょうかね(笑)。