モメンタムをマネジメントする。他発的にモメンタムをチャージする ~ソモサン第314回~
前回もご紹介させて頂きましたが、モメンタムと云うのは「心のエネルギーが躍動している状態」を指した言葉です。物理的には運動エネルギーのような存在です。一方でモチベーションと云うのは「心が動き出すための動機源」であり、位置エネルギーのような存在です。少しく物理を齧った人であるならば、「エネルギー保存の法則」という定義を覚えている方もいらっしゃるかも知れません。位置エネルギーと運動エネルギーは等価の関係にあるという法則で、言い換えますと位置エネルギーが高ければ、応じて運動エネルギーも高くなるし、位置エネルギーが低ければ、運動エネルギーも低いということです。これを心の領域に転換すれば、強い動機であれば勢いも強くなるし、弱い動機だと勢いも弱いということになります。このことは逆も真なりで、勢いが強ければ動機も高く想起されるけれども、勢いが弱いと動機も低く想起されることになる。時には動機が浮かばなくなるということに繋がります。
日本の様にモメンタムと云う言葉が未だ日常語でないところでは、この「勢い」のことを「モチベーション」に照らして「何かモチベーションが上がらない」とか「モチベーションが下がる」と表現することがあります。また「勢い状態の結果」を表して「テンションが上がる」とか「下がる」と口にする場合も若い年代を中心に多々あります。大同小異かもしれませんが、心が前向きであり、かつ勢いづいているという人にとって望ましい心の健康状態と云う視点から見ると、最も重要なのはモチベーションとはあくまでも思考的な言葉であって感情を焦点にした言葉ではないということです。
モメンタムの概念は脳科学からも導かれる「感情と行動の繋がり」が軸足です。「思考があって行動が起きる」というこれまでの「意識論」が再定義された「思考は行動に後付けされて生まれる」という「無意識論」によって「心をリニューアルさせる」アプローチとしてクローズアップされてきている存在です。そしてその介在となるのが「感情」という存在であるわけで、これからの心の扱いは「思考主義」から「感情主義」に切り換えない限り、実践的には使えないという主張の論拠にもなっています。ある意味「認知行動療法」へのカウンター理論ともいえる主張の心臓部に位置づけされるのが「モメンタム」であるわけです。
そしてそれを実践的な観点から現実化させてみたのが東洋発の宗教学「禅」という世界から生み出された「瞑想法」だったというわけです。西洋かぶれなのか西洋コンプレックスなのか分かりませんが、舶来主義の日本ではどれくらい内部に優れた理論や技法を持っていたとしてもなかなか顧みようとはしません。「瞑想法」の場合も西洋で実践学的にアプローチされた「精神療法」の中で見つけ出されたものを西洋的に加工して「マインドフルネス」という用語をもって普及された経緯があり、それが逆輸入されたというアプローチになっています。禅では独自の世界観の中で「心技体」を一体化させたアプローチとして展開されて気ましたが、思想的価値観的にそぎ落とされてきた領域があります。それ故マインドフルネスを丸ごと取り入れても日本では効果が望むほどにはならないというのはこれまでも言及させて頂いてきました。
それでもなかなか市井ではその背景や原理が理解されるには遠い話で、相も変わらずそこら中の組織では西洋のアプローチを丸移しただけの取り組みが為され、便乗した学識者が表面的な紹介に明け暮れるのが実態です。
マインドフルネスと云う古来からのアプローチがそういったレベルですから、「勢い付け」へのアプローチなど認知すらされ難いのが実情と云えます。西洋では日常的に使われる「勢い付け」、モメンタムと云う言葉が含む重要な意味が巷間で膾炙されない限り、この閉塞感が重く圧し掛かる社会情勢において日本人が健全に「勢い」を回復して未来にリーチアウトするのは水泡の如しと憂いるのが私の本音です。具体的に云えば、「モチベーション」を焦点にしたアプローチをするのでは「活性」は起きないということです。
でも人間は本能的に自浄作用を持っています。言葉の云々はさておいても、活動レベルではモチベーションではなく、モメンタムへのアプローチを実践しています。着火としてハイリズムの音楽を聴いたり、印象派的なアートに見入ったり、アニメを活用したり、はたまた身体を動かしたりとか。エスニックがブームになったり、大食いがフォーカスされたりと、どれもモメンタムを高める行動と感情へのアプローチに照準が当たった内容が喧伝されています。やはり人の心の軸足は健全的であり、良心的であり、前向きなのでしょう。行動は無意識に本性を表現します。
ならば意識的にそれをもっと後押しすれば、より活性的な状態が現出できると皆さんは思いませんか。例えば気付いていない人に意図的に働きかけるとか影響するとか。そうして全体のうねりが大きくなれば、その活性は相乗的な力をもって自らを更に盛り上げてくれることに繋がります。皆さん「考えるよりもまずは何でも良いから動いてみる」ということです。考えるのはAIに任せておきましょう。
そんな中で日常的に身軽に動き出すにはどうすれば良いでしょうか。まず大事なのは「自発」に頼らないということです。自発などと云うから「重く」なるのです。皆さんはエネルギーは波動的に伝播するということをご存じでしょうか。例えば「可笑しい」という感情は「笑う」と云う行動を通じて他者に伝播していきます。同様に「悲しい」も「泣く」と云う行動を通じて伝播します。典型的なのは「怒る」です。どれも意識的ではなく、無意識に伝播して意識は後付けされます。分からないのは「あくび」だけです。
何れにせよ人は他発から感化されて感情はミラーリングされます。医学的には「ミラーニューロン」という因子も発見されていて、神経回路が共鳴することが分かっています。この作用を利用しない手はありません。ともかく「場」を利用して他発的な効果を活用するわけです。例えばクラブ(ディスコ)とかお祭りとか、バーゲンセールとか。私は時折秋葉原で外人さんが一杯集まるアニメやフィギュアのショップにウィンドウショッピングに出掛けます。私の息子はわざわざ千葉の幕張までそういった催しまで出掛けていきますが、時折テレビで拝見すると凄い賑わいになっています。昔は会社でも運動会があったりしたものですし、私が懇意な大阪の会社では近くに野球場があってプロ野球観戦で盛り上がり、帰りに駅の繁華街で一体感を味わったそうです。最近はそういった場がどんどん変容してきていますが、場がなくなったわけではありません。そういった場を利用してエネルギーを他発的に充電するのもありと云えます。
文学者の故寺山修司氏は「書を捨てよ、町に出よう」と主張しましたが、まさに言えて妙と云えますね。皆さんもしっかりと外に出て心的なエネルギーを充電してください。マインドフルネス的なカルムエネルギーも良いですが、モメンタムエネルギーの充電も大事ですよ。
では次回も何卒よろしくお願い申し上げます。
さて皆さんは「ソモサン」?