• モメンタムをマネジメントする。当たり前という物言いが抱える恐ろしさ ~ソモサン第313回~

モメンタムをマネジメントする。当たり前という物言いが抱える恐ろしさ ~ソモサン第313回~

 今回は、前回ご紹介した「原動機」が旧式になっていることによってモメンタムのためのエネルギーがきちんと充填出来ない、というケースについての話をご紹介して行きましょう。

 皆さんもご自身の部下や後輩がうまく仕事をこなした時には「褒める」ことが大事であると云うことはご存じの話と思います。それを知りながらせっかくきちんと仕事をこなしたにも拘らず、それを軽視したり、ネガティブに評価したりするのは相当にひねくれた人間ということになります。当然そういった人が組織の中でそうそう羽振りを利かせているとは思えないわけですが、意外とそれに準じた対応をする人は組織に溢れかえっているというのが実態です。ではその準じた対応とは一体どういった対応を云うのでしょうか。実際そこら中の職場ではよく見かけるのですが、やっている側には殆どネガティブな意識が感じられていないというのが特徴的である対応反応といえます。

 その対応反応とは、ずばり「当たり前」という対応です。そう、「それ位は出来て当たり前」「やって当たり前」と云う反応に基づいた対応です。皆さんはどうでしょうか?自分にはそんなことはないと云い切れますか。

 実はこの「当たり前」という反応ですが、現実的にはかなりの影響を及ぼしている割に、この反応対応がどうして問題になるかについては何処の組織でもなかなか俎上に上がってきません。その為にこの物言いがもたらす影響がきちんと認識され難くなっています。でも厳然と云われた側はモラルダウンして徐々にネガティブマインドになっていくという事実があります。

 にも拘らずどうしてこういった物言いが横行しているのでしょうか。問題となるのはこの物言いには発信者と受信者の間に大きな乖離が生じるということにあります。端的に言えば、「何を基準として当たり前を設定しているか」です。発信者は期待値も込めて、「自分がやるのであればこれ位だから、概ねこれ位が出来て合格ラインだろう」といった設定を持っています。一方受信者は「これ位が合格ラインだとすれば自分の成果はかなりの線を行っているだろう」と設定します。そのギャップが感情的な対立を生み出す原因になります。

 現場の実態を見る限り、「当たり前」というとらえ方は殆どの場合で共通的に「自分基準」による主観的な設定で、何らかの尺度を持った客観的認知でないということです。課題解決や仕事に対してその背景も経歴も違う。また関与者の権限も責任も違うといった立ち位置の関係にあって、そこに主観的な基準で「当たり前」を設定され、しかも権力的な姿勢で評価されたら部下や後輩の立場ではたまったものではありません。しかしそれがどこの職場でもそれこそ当たり前のように横行しているのです。
※旧式の機械は当たり前の基準がズレています。基準がネガティブ的で必要以上に厳しいラインに設定されている人が多いです。そういう指導で育ってきた文化故のズレがあります。

 もしも当たり前という基準を設けるならば、きちんと当たり前に対する基準を論拠をもって設定して、それを基軸にやり取りするのが社会契約です。そうまでしなくても関与者同士が以前に合意形成するのが大前提になります。

 皆さんも軽々しく当たり前という認知基準を組織内で振りかざさないような配慮をするのがマネジャーの最低条件ということを改めて確認して頂けると幸いです。

 ところで実践的に日々を送る中で、一々仕事の一つ一つまでに評価基準を設けたり、契約をしているわけには行きません。そのような日常の中で時に迂闊にでも「当たり前」と評しても上下関係が成り立つにはどうすればよいでしょうか。そこで必要になるのが日常的な信頼関係ということになります。信頼関係の基軸となるのは「対等性」です。結構勘違いしている人がいる感があるのですが、人というのは年齢差や職歴差に限らず、契約関係を外しては「対等」であるということです。例えば組織内においての上下関係は、あくまでも所属する組織においての課題を解決するために結んだ契約関係の中で存在するということです。決して全人格的に上下関係というわけではないわけです。例えば企業の場合、就業時間を過ぎればもはや上下関係ではありません。日常の関係はあくまでも慣習や社会的な風習に則って下の者が、あるいは上の者が役割を演じてくれているわけです。それを四六時中の主従関係や時には隷属関係のような扱いをする人が存在します。全く良識を疑うところです。

 下が上に気を遣うのは日常の生産的な関係(お互いのウィンウィン関係)を維持するための配慮であり、思いやりです。これは気が付きにくいですが上が下に対しても行う動きです。私などもそうですが、責任者はその責任意識に基づいて社員のメンテナンスに気を遣う配慮をします。そこに好き嫌いはありません。しかしその責任が外れればその限りではありません。無理に気を使う必要もないわけです。そう対人関係は相互の努力によって成立するものなのです。

 反対に仕事の生産性を前提に構築される組織内での上下関係は信頼と同時に「権力関係」となります。権力関係とは一方が他方に対して行使する影響関係です。日本では権力というと「悪」という印象を植え付けられている人がいますが、権力とは「上下的な影響力」を云います。権力の「権」とは「重み」という意味で、「大切な力」が権力です。組織が機能的に役割をもって作業を分担し、その分担している齟齬を含んだ作業を調整して統合するにおいて、「権力」は統制として必須の存在です。そしてその統制による全体適合があってこそ組織の課題は合理的で効率的に達成されます。

 人は元来自分が一番とか正しいといった優先意識があり、自我地位と云って人より上の存在でありたいという欲求があります。ですから組織として理解してはいるものの感情的には権力に対して反発するのが条理と云えます。だからこそこの感情を収めるにも信頼関係が重要な要素となります。

 今回俎上にした「当たり前」というやり取りにも、こういった信頼と権力といった人間の感情的な動きが背景にあるということを腹落ちさせているかどうかはモメンタムという「勢い」づくりにおいては無視できないマネジメントの要素が潜んでいます。

 「直接面する人や職場のやり取りでは感情ベースで、組織のやり取りでは論理ベースで」というのが組織でストレスなくい勢いを持った活動をしていくための重要なポイントになります。

 皆さんも物言いには十分に配慮して組織内での信頼関係を強力なものとし、有効な権力関係が起動できる職場を作り出して頂けますと幸いです。

では次回も何卒よろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?