モメンタムをマネジメントする。 モメンタムの背景を知る ~ソモサン第310回~
組織開発における概念の中心に、「コンテント」と「プロセス」という視点があります。コンテント(Content)とは、仕事の内容や成果、手順など目に見えやすく意識しやすい視点です。一方プロセス(Process)とは、仕事手順の規範、コミュニケーションや意思決定の在り方、チームの関係性による参画、集中度の在り方など潜在的で意識しにくい視点です。
「プロセス」には、タスク(業務)とメンテナンス(心理)という2つのプロセスがあり、更にメンテナンスプロセスにはロジック(思考)とメンタル(感情)という2つのプロセスが入れ子的にあって、これらは後者になるにつれより見え辛く気が付きにくい、でも根源的なプロセスとして存在しています。
言わずもがな、仕事にとっての目的は成果を出すことですが、その成果は単に出せば良いというものだけではなく、その質や効率が大事です。そしてそれはプロセスの在り方によって決まってきます。つまり、仕事の成果を向上させるためには、仕事の背景にあるプロセスを改善していく必要があるということになります。
具体的に、例えば「暗黙の業務手順、メンバーの状態、物事を進めるための思考過程、メンバーのエンゲージメントなどを図とか文書で可視化して把握し、共有化を高める」といったアプローチが考えられますが、いずれもその後どのように手を打つかの介入が勝負になります。少なくとも、「成果を出すために忙しいから、人や組織改善をする余裕はない」などと云った本末転倒は笑止の一言です。
ここで注目すべきは、前述の如く、より見え辛く気づき難いが根源的であるプロセスに梃子を入れない限り、介入策は表面的で一時的な改善にしかならないということです。ロジックやメンタルといったメンテナンスプロセスへのアプローチを抜きにしてタスクプロセスにアプローチしても形骸的なレベルに終始するだけになるということです。
ではこの最も根源に位置づけられるというロジックやメンタルのプロセスへの介入は一体どんなイメージになるのでしょうか。
ロジックとメンタルの要となるのは、個々人のパフォーマンスに直結する「状況に合理的な思考の在り方」と「やる気を引き上げるモチベーションの在り方」です。そして集団としてのパフォーマンスに直結するのは「チームコミュニケーションの在り方」と「チーム結束の在り方」です。個々人とチームの在り方は相互に影響し合っていますが、優先性としては個々人のポテンシャルが先になります。確かにチーム結束のポイントは信頼感と権力感になりますが、それを有する個々人以上の質と効率は望めません。
ではロジックやメンタルの改善における具体的な介入について、具体的な展開例を綴っていきましょう。個々人においてのロジックプロセスとは、「ロジカルシンキング」と「ロジカルトーキング」の問題です。
ロジカルにおいて一番いけないのは、「どこに行くのかが分からない」ようなダラダラした思考と語りです。例えば「昨日○○があって、そこで××に会って、それで~」と延々と話が展開される場合、「それで結局何が言いたいのか」が何時までたっても分からない。いつこの話が終わるかも分からない。酷い場合、本当にこの話自体が終わるのかすら分からない、といった状態に出会うことがあります。こういった語りでは聞く方は不安になりますし、忙しいときはとてもイライラさせられます。ロジカルに考えたり話すとは、端的に云えば、常に「結論、根拠、結論、根拠」という順番で、これを繰り返しながら続けるということです。
まず結論を先に言えば、「ここがゴールなんだな」と理解できます。そしてその直後に「というのは……」と根拠を述べれば、なぜこの結論が導き出されたのかも理解できます。非常に理解しやすい話の持っていきかたと云えます。
でも、時には「どこに連れていかれるか分からない」喋りの存在価値がゼロということでもありません。目的が結論ではなく、会話自体を目的とする場合、例えばデートのときの様に、相手と同じ場所にいること、そして相手と会話すること自体が目的の時は会話の内容自体に特に意味なんてなくても構わないといった場合もあります。
そういった状況では議論に結論がつかなくても、問題が解決しなくても構わないわけです。いや、むしろ結論なんてつけないほうが良いときの方が多いかも知れません。こういった時の目的は、終わりとしての結論ではなく、状態の維持だからです。愛する人が楽しそうに喋っているのを眺めているだけで幸せになれる、それが目的なわけです。また時には心のつかえをただ聴いて貰うだけで癒しを得たいという場合もあります。そこで結論じみたことを云われたら、それだけで興ざめです。もう二度と話をしたいとは思わなくなるでしょう。そんな人といても楽しくはないからです。こういった場合は「喋りの構造」といった論理などに拘る必要はありません。むしろ拘らない方が良いわけです。
これこそメンタルプロセスの話なのですが、プロセス的には時にこういった会話が必要な場合もあります。メンテナンスプロセス上で信頼関係を醸成する必要があるような場合です。答えや結論は既に自分で持っているからそんなことが会話したいわけではない。話しながら自問自答して心を整理したいといった時の会話などはその典型です。欲しいのは結論ではなく、共感です。
ところがそういった時にこういった会話が出来ない人がいます。人の心情やメンタルプロセスが理解できない人がメンテナンスプロセスを台無しにして、結果をぶち壊してしまう、しかもそれ自体に気が付かないといった人が全体のパフォーマンスを下げてしまうのです。皆さんの中にも「あいつの云うことは正しいかも知れないが好きになれない。従いたくない」といった経験がおありなのではないでしょうか。
お医者さん(当社にも川野先生という協力医師がいらっしゃいますが)の場合、患者さんがご自身も明快な結論をもてずに、それを探るように「どこへたどり着くかか分からない」喋り方をすることは多いでしょう逆に、ゴルゴ13のように「要点を聞こう」などと上から目線で要求して患者を潰す医者も偶にはいますが、多くの方々は一定の信頼関係をそのメンテナンスプロセスで築き、場を固めてから本来のロジカルプロセスに臨まれます。最終的に欲しいのはタスクプロセスの質と効率を上げることにあるからです。もちろん、患者さんが自分自身で自分のことを理解し、理路整然と自分の心身の問題をスピーチしてくれたほうがお医者さんとしては理解も早いので楽かもしれませんが、患者さんの喋り方のくせ、思考の流れの特徴などを理解するのも、等しく患者さんや病態の理解には役に立つことも多いと云えます。そういう意味では、「素のままの」患者を出していただいたほうが、「急がば回れ」でより良かったりするわけです。
本題に戻りましょう。しかし「どこに連れていかれるか分からない」喋り方にも効用がないわけではないのですが、一般的に言えばやはりそれは社会生活においては不便な喋り方と云えます。こういう喋り方では聞き手の集中が高まることはまずあり得ませんし、時間は浪費されるし、非効率で問題解決は遠ざかるばかりです。事の本質を掴むには、「結論、根拠、結論、根拠」の順番で思考し通話するのが最善と云えます。要は使い分けですね。
さて皆さんプロセスについてのご理解は進みましたでしょうか。実務にうまく取り入れて頂けますと幸いに思います。
では次回も何卒よろしくお願い申し上げます。
さて皆さんは「ソモサン」?