• モメンタムをマネジメントする。範例から見た日本のマネジメント実態とモメンタムの低減化の一面 ~ソモサン第309回~

モメンタムをマネジメントする。範例から見た日本のマネジメント実態とモメンタムの低減化の一面 ~ソモサン第309回~

前回のマネジメントについての話ですが、ソモサンでもきちんと実例と共に話を具体化してみましょう。

これはある企業で実際にあった話です。この会社では円安差益による資材輸入における業績悪化に伴って工場の閉鎖や人員削減が行われました。ご多聞に漏れずに組織の雰囲気は暗く、モチベーションは低位状態。モメンタムも脆弱な状態に陥ってました。しかしこの会社の総務本部長は「モチベーションが下がるのは未だしも、モメンタムが落ちるのは他にも原因があるはずだ」と捉えたのです。モチベーションとは、人が何かしらの目標に向けて動くための「原動力」となる意欲です。 「動機」と表現する事もありますが、何かに向けて「動く」ためのエンジンのようなイメージをすると良いでしょう。 原動力を発揮する先の目標は様々なものがありますが、会社の場合は昇給や昇格、日本の場合はそれ以上に雇用保障といった他力的な条件が挙げられます。一方モメンタムは原動力である意欲に対して「その気」にさせる自発的な勢いです。それは浜松の「やらまいか(やってやろうじゃないか、とにかくやってみよう)」といった挑戦心や独立自尊、自力更生するような意気するエネルギーです。覇気とかノリという心が振動する心情です。そしてこの気概を盛り立てるのは「ふれあい」の中にある心理的安全性や共感性です。モメンタムは直接的なマネジメントやリーダーシップに強く影響される波動です。

例えば同じ条件下でも反応が真反対に出る状況は皆さんにも想像できるのではないでしょうか。絶望感に陥った時に、そのまま諦観によって崩れ落ちる人とそこで共闘的に奮起して何とか持ち堪えようとする人の違いです。この違いは間違いなく「信頼力」によって左右されます。そうモメンタムが弱まるのは利他心がなかったり、それぞれが不信感や孤立感を持った場合です。踏ん張りが出ないのはモチベーションではなくモメンタムが原因なのです。

この会社では、本部長の意を受けて企画部長が組織の風土調査(いわゆるモラルサーベイ)を実施しました。すると調査において、マネジメント項目の領域でかなりのマイナスデータが出てきたのです。特に開発部門と品質管理部門で顕著でした。マネジメントにおけるマイナスデータとしては、例えば「業務のやり方が今までと変わらない」「業務に対しての能力向上の機会がない」「マネジャーが関わってくれない」といった項目に関してマイナスが強く出ているといった按配です。調査前から社内の声として「人手が足りない」「いつ自分が対象になるか分からない」といった風評にあることは誰しもが認知した中で、それでも「今後に向けて復活すべく何らかの手を打たねばならない」と銘打って実施した流れです。そして出てきた結果が「マネジメント」面への極端な声だったという次第です。

そこでその反応に対して実施主管である経営企画は、マネジメントの当事者足る現場長たちに「このデータに対して今後の施策を考えて報告してくれ」といった指示を出しました。すると一部の現場長から「どうしてこう言ったデータが出たのか。その要因が分からないから報告出来ない」という意見が出て来ました。まさに作業現場で良くある問題解決の一つ「要因分析」的な思考です。そしてマネジャーの要求は「策を出すには明確な原因を教えろ」といったところです。現実的には、社会科学、特に人間が絡む問題解決では顕著ですが、要因が輻輳していたり、策が何手も考えられる問題などは幾らでもあります。むしろそういった問題の方が大多数です。

でもこのマネジャーたちは長年のアンコンシャスバイアスから「問題解決は要因分析的にアプローチする以外にはない」と条件付けされているわけです。まあ端から人間系の問題解決は出来ませんと云っているに等しいわけです。

それに対して企画スタッフサイドは「明らかにマネジメントに関してマイナスデータが出ているのにこの意見は何だ」と憤ります。「当事者として受け止める姿勢がない」と捉えているわけです。しかし企画部長はこの現場長に以下のような回答をします。「データを複数組み合わせて読み込むと、例えば『人が辞めてこれまでとは業務の流れや作業量が変わったのにそれに対しての段取り替えや再采配がない』『業務が変わったのにその為の指導や助言がない』と云うことが浮き彫りになっている。また『日常的に相談に乗ってくれたり支援してくれない』ということも見えてくる。これはマネジャーの本来の仕事であるが、人員削減後にマネジャーとして何か手を打ってきたのか。打ってきたならばその内容を、また他部門などとの調整を鑑みて何らかの提案をしてくるのがマネジャーの仕事ではないだろうか」。突き返さずに具体的に範例を示したのです。「分からない人にそのまま返しても水掛け論になるだけである」というのがこの部長の心情でした。相手に具体性を求めるならば自らが具体的でないとならないというのが信条なのです。

ただ極めつけとして「現場からは、相談しても『それ位は自分で考えろ』とか『自分は忙しいから文句は上に言え』と云われてパワハラ的扱いを受けているという声も聞こえているが、どう考えるか」と具体的な事例のデータで畳み込んでもおいたのです。その上で企画部長は「具体的にこちらに相談したいのであれば直接面談で応じる」と助け舟も出しました。いやあ多元的に攻めます。

すると現場長の中からは「はっきり云って自分は真面目にマネジメントしなくてもこれまでやれたのでどうして良いかが分からない」「出来れば相談させてほしい」といった返事が寄こされてきました。この場合考えられるのは、この現場長は本人の申告通り、これまで(研修は型どおりに受けたけれども)マネジメントを舐めてかかってきており、またそれでも実害もなくやってこれて、今回は明らかに具体的な要因が想像出来ず、対策も進め方も想起できないということと考えられます。決して悪気や歪みではなく、現実を受け止めていないのでもなく、単に人間音痴(訓練不足)か自信喪失状態なので、自分の権力的立場での発言が及ぼす影響などにも気が付かないのでしょう。決め付けてはいけませんが、経験的には理系出身で工場などの現場で生産一筋の人にはこういったタイプがちょくちょく見られます。最近増えているようですが、学生時代も独行的な勉強一筋で、対人は近親者とのやり取りが主軸で、自分の一言や言い方が人にどういう気持ちを与えるかを経験したことが少なく、対人的な苦労を知らない人が中堅やマネジャーになるとこういった問題を引き起こします。平たく云えば人が付いてこないという奴です。日本の場合、理系人材を不用に持ち上げるので勘違い人材が跋扈するといったこともありがちな話です。会社によってはこれまた日本特有の年功主義での昇格で専門力で鳴らしてきた中でマネジメント能力はなくてもマネジャーに上がる人がマジョリティ化しています。要は人間無知の弊害です。

今回の例のように、人員削減があった場合、削減分増えてくる業務の再配分し、再采配をするのは明確にマネジャーの仕事です。人が減っているのに従来の仕事の進め方の継続では、部署の現場の業務が回らなくなるのは当然ですし、減った分の仕事をただ割り振るだけでは残った人たちに負担が増えて疲弊していくのは必定です。そこをどのように工夫して仕事や業務を回していけば良いか、その知恵を振るってこそ部門責任者としてのマネジャーの本来の仕事です。ところが実際の現場を見ると、そういった工夫も手立ても何もせず、自分は従来のやり方のままで、部下に負担を押し付けてその責任を組織の性にして愚痴るマネジャーがそこら中にいます。一体こういった人はマネジャーという職務をどう認知しているのでしょうか。当事者意識がないというのはこういう状態を指します。

こういった人は専門職レベルで組織が運用される状態の時は問題が出て来ませんが、会社が市場的や運営的に難局にぶち当たった時、様々な組織マネジメント上の問題を露呈し始めます。人問題で云えば、下が育たない、やる気をなくす、辞めるといったことが頻出してきます。そこまで来ても病んだ組織になると、マネジャーがマネジメント的には無能でも、その人が持つ専門性的な問題解決力には期待していますから、人材問題には目を瞑り、当該マネジャーを温存し、ことを深刻化させていきます。こうなるとさすがに組織問題と云えます。これこそまさに木を見て森を見ずの典型ですが、意外と日本企業の現場に行くと多く見られる現象です。

事例的に進めたので少々長くなってしまって申し訳ありません。 それでは次回もよろしくお願い申し上げます。

 

さて皆さんは「ソモサン」?