モメンタムをマネジメントする。マネジメントに重要なのは岡目八目の視点です ~ソモサン第308回 ~
とある日本のテレビ局二社が、大谷翔平氏が所属するアメリカプロ野球のドジャースから「出禁を食らった」と云います。理由は自宅の空撮によってプライバシーを侵害されるだけではなく、セキュリティにも多大の問題を生み出した為だと云います。この問題を発生させた二社は、これに対して関係回復の交渉を進めていますが、問題意識に対しては以下のようなコメントをしています。「アメリカのLAテレビなど地元テレビ局の二社が同様の報道をしたのを見て、自分たちもそれに続いた」。皆さん如何でしょうか。これこそが先週話題にさせて頂いた良心の問題です。というよりも倫理観の話といっても良いでしょう。皆さんもご存知のように日本のこの二社はキー局と称される全国放送の会社です。その影響力は絶大です。昨今こういったマスメディアの倫理観が俎上に上る毎日になっていますが、それが一向に内観されないという事実やグローバルでのパパラッチの実状を見る限り、これが現在のマスコミと云われる報道機関の意識レベルですとしか言いようがありません。「社会の木鐸」と云われ、「ペンは剣よりも強し」と称されたマスコミは、最早後者の権力だけをはき違え、前者の良心を失ってしまったとしか云えないのは残念至極です。傍目八目の真骨頂と云われたマスコミでも当事者になりそこに長く安住すると傲岸不遜になってしまうという好例と云えます。
さてこの傍目八目という言葉ですが、これは囲碁の用語で、対局している当事者よりも、傍らで見ている人のほうがたとえ力量は劣っていても、八目先まで見通せるほど良い手を発見することがある、という意味で使われます。当事者には見えないことも、傍目で見ていると色々なことに気付くということです。この当事者と云うのは「慢心」のような盲目状態になっている場合だけではなく、「得手に鼻突く」ということわざにあるように、得意が故にそれが常態になってしまい、実勢が見えなくなってしまっているという場合もあります。
昔新潟と云う地域で仕事をしていましたが、良く「お前の話は英語が多くて分からん」と云われることが多々ありました。そもそも私は英語が苦手故に国内系のコンサルタント会社に入ったのですが、それが「英語が多い」とは、確かにコンサルタントの仕事は「学際的な理論を現場に適応するエンジニア」のような仕事ですから、元の理論が欧米のものだとどうしても訳し切れなくてそのままに表現することが良くあります。問題はそういった中に日常浸かっているとそのことに気が付かなくなって、普段は英語に触れていない人にまで当たり前のように口に出てしまっているということです。分からないものは分かりません。例えば「コンテント」と「プロセス」といった用語などは業界の専門用語です。「知らないものは知らない」。それをそれ位知っていて当然では通用しません。こういったことが業界や業種、職場の業務ごとにたくさん存在しています。財務の用語など製造現場では宇宙語に聞こえているかもしれません。また、そういった言葉は日常の業務プロセス上では必要なものでもありません。知っていればベターでもマストではないわけです。自分にとってマストだから周りもマストであれ、と云うのは先のマスコミの不遜さと何ら変わるものではありません。こういった日常の前提の中には本来マストなものも潜んでいます。しかし当事者はそう思っても、対象者にとって「学んでいない」無知なものや日常に中で触れることが殆どなく優先度が低いものなどはやはり身に付くものでもありません。確かに後者は自己責任も潜んでいるのは確かです。しかし現実では「必要は発明の母」の如く、目の当たりにしないと気も付かないのが実態です。ですから問題を感じさせる人の行動を見た場合、それが歪んだ認知からなのか、それとも無知が為せる技なのかといったことが良く検証する必要があります。
そしてその最も重大な一つに「マネジメント」が挙げられます。一体日本の現場のマネジャーと称される人たちに「マネジメント」という知識や技能が埋め込まれているのでしょうか。これは単に「研修をしました」といった話ではありません。組織運営にとって「自分はマネジメントのプロでないといけない」といった自覚の下でその為の知識や技能を習得すべく日夜意識付けしている人が何人いるのでしょうか。「動機」のない所に「教育」を施しても「暖簾に腕押し」です。日常での結果や評価が専門性による問題解決が重点である以上、ことさらマネジメントに真剣にある人などいないのが実情と云えます。これは特に現場程その傾向は顕著です。
例えば、人員削減があった会社の場合、削減分増えてくる業務の再配分し、再采配をするのは明確にマネジャーの仕事です。人が減っているのに従来の仕事の進め方の継続では、部署の現場の業務が回らなくなるのは当然ですし、減った分の仕事をただ割り振るだけでは残った人たちに負担が増えて疲弊していくのは必定です。そこをどのように工夫して仕事や業務を回していけば良いか、その知恵を振るってこそ部門責任者としてのマネジャーの本来の仕事です。ところが実際の現場を見ると、そういった工夫も手立ても何もせず、自分は従来のやり方のままで、部下に負担を押し付けてその責任を組織のせいにして愚痴るマネジャーがそこら中にいます。一体こういった人はマネジャーという職務をどう認知しているのでしょうか。何のためのマネジメント手当や三面等価原則なのか。当事者意識がないというのはこういう状態を指します。
こういった人は専門職レベルで組織が運用される状態の時は問題が出て来ませんが、会社が市場的や運営的に難局にぶち当たった時、様々な組織マネジメント上の問題を露呈し始めます。人問題で云えば、下が育たない、やる気をなくす、辞めるといったことが頻出してきます。そこまで来ても病んだ組織になると、マネジャーがマネジメント的には無能でも、その人が持つ専門性的な問題解決力には期待していますから、人材問題には目を瞑り、当該マネジャーを温存し、ことを深刻化させていきます。こうなるとさすがに組織問題と云えます。これこそまさに木を見て森を見ずの典型ですが、意外と日本企業の現場に行くと多く見られる現象です。
でも着眼点を戻して考える限り、それを今更俎上に挙げても詮無いことで、それでは問題解決は出来ません。余裕がある会社ならば再教育もあるでしょうが、待ったなしの企業ではともかく手を打つ必要があります。重要なのは、現場のマネジャーには悪気がないということです。マネジャーたちの多くはただ無知で無教養なだけなのです。良心もあるのですが、事象に気が付かないし、気付いても手の打ち方が分かりません。これが実態なのです。
モメンタムをマネジメントするにおいて最も重要かつ注視すべきは、勢いの中心は「燃焼」であり、それに熾火するには「意味を理解させ、得心させ、それをしっかりと持たせて日常を意識的に過ごさせる」ということです。
では次回も何卒よろしくお願い申し上げます。
さて皆さんは「ソモサン」?