• モメンタムをマネジメントする。精神性や健全性、良心の持つ意味を知る ~ソモサン第307回 ~

モメンタムをマネジメントする。精神性や健全性、良心の持つ意味を知る ~ソモサン第307回 ~

前々回、ドーパミンは課題解決という知的欲求を満たす作用として大脳の新皮質からも分泌されるとお話しさせて頂きましたが、ここにはとても大きな意味が潜んでいます。それは課題解決という言葉にあります。課題解決には様々なアプローチがありますが、その中には「知識習得」のような論理的なモノがあります。直接的には課題を解決するための欲求を満たすことから得られる至福感なのですが、それを為すために過程上求められる副次的な活動も徐々に至福感に繋がっていきます。そして最初はその副次的な活動によって得られる至福感だったモノが、それ自体を主たる目的として営まれる欲求に転化されていくということが生じてくるのです。その一つが「知識欲求」です。
知識欲求は個人の中に終始する欲求ですので、それに起因する弊害は少ないのですが、「権力欲求」となるとそう簡単に見るわけにはいきません。課題を解決するには単に「知識や情報充足」によっての思考力でアプローチするばかりでは成しえません。むしろそういったアプローチによる解決は少ないのが社会活動と云えます。社会科学的な課題は正解や単一解が存在しない方が当たり前です。そうなると課題を解決するには最善となる解を見出した中で、社会的な合意形成をもって着地点を見出すことになります。そういった場合に鍵となるのが妥協点に導いていく影響力と云うことになります。そういった影響力のことを「権力」と称します。権力が課題解決にとって強い武器であるということは、その権力を保持するということは即ち課題解決の欲求を満たすための大きな手段を得るということになります。
しかし権力は知識とは異なり、他者や集団との関係の中で発揮される能力ですから、万人に共通の欲求充足や至福感を与えるものではありません。むしろ他にとってはマイナスに作用することが多々あります。それでも権力は人にとって大きな魅力になるということは大脳生理学的に明白です。そして人によっては権力保持欲求そのものが知識欲求同様に主たる目的となって活動の軸足になっていきます。それも欲求充足本能に従って際限のない形で。社会的には本末転倒な話ですがこれも必要悪と云うものなのでしょう。上手く折り合いをつけていくしか仕方がありません。
ではどのように折り合いをつけていけば良いのでしょうか。ロゴセラピーを開発したオーストリアの精神医学者V.フランクル(名著「夜と霧」で有名)は、その心棒として「精神性」を挙げています。彼は人には「肉体」と「心理」に加えて普遍的な「精神性」があると論じています。彼は、精神性とは「良心」に代表される「心が本来持っている健全性」だと説明します。フランクルはハイデッガーやヤスパースが主張する「実存主義」を基軸に、「人とは自己のあり方を社会の中に位置付け、それを追求してこそ存在足りえる」とし、「人生の意味とは、人生に何かを期待することではなく、人生が自分に何を問うているか、を考えることにある」と語っています。そして「人生は過去ではなく未来に目を向けることであり、貰うものではなく自らが作り出すものである」「思いとは未来に目を向けて自らの幸せを生み出す方便を考えること。自分は何が出来るかを考えることである」と説いています。
そして健全性とは「人が本来持っている意味は、過剰に自己観察する如く、常に内側に眼差しを向ける姿勢から外に眼差しを向けて働きかけることである。人が根っことして持っている目的意識に向けてリーチアウトすることである。具体的には、社会に役立ちたい。人の役に立ちたい。存在を示したい。意味を持ちたい。意味への意志を実現したい。周囲に働きかけたいといった欲求を満たすことである」としています。確かに人にとって心が癒えるのは共感を得た時や精神性を鼓舞された時であり、精神性が満たされない時に空虚感に捉われ、不安や憂慮に苛まれて、劣等感や葛藤を感じ、引いては執着を生みだします。権力と云う道具を悪用して他者の精神性を害する人の顕著な特徴です。フランクルは、「空虚感から抜け出す道は自己中心的な見方を外に変えることである。そして周りに対してやれることを考えることである」と云っています。
またフランクルは「健全性を保持し実現するには意味に基づいた目的が必要であり、その意味を思うにはアンテナがいる。アンテナによって意味へのヒントの情報を受信する必要がある。しかしアンテナが立ってなくてはそれが受信できない。そのアンテナとなるのが良心であり、意味を聞きとる器官である」と語っています。更に「良心とは意味に適っていることである。それは他に対して公正である。フェアである。誠意がある。利他である。そこに配慮がある。他に眼差しが向いていることである」と加えています。
まさに人は社会的動物であり、社会的持続性が最も大事な目的です。そしてそれは他との関係で成り立つのが前提です。この原理は、「他の思いに対する事でないものは独善であり、自己欺瞞である」と云うことを物語っています。そして、「精神性の循環が社会を持続可能にする」というのは、禅が唱える「自利利他」の教えと全く一致する考えと云えます。
では具体的にはどのように日々を過ごせばよいのでしょうか。特にマネジメント的には。マネジメントとは精神性の保持と向上に対するカウンセリング、コーチング、サポーティング、リーディング、アドバイスをすること。エデュケーションすることです。
これまでも述べてきましたように、信念やビジョンがあれば、それは可燃し易くなり、燃焼モメンタムが発火し易くなります。但しここで必要なのは目先のちいさな願望や目的です。そしてイメージしやすくて欲しやすい報酬です。重要なのはそれが健全性に繋がる精神性に富んだ目的であるように導くことです。そして大事なのは、日々小さな刺激を与え、それを続けることです。但し慣れさせないような工夫をすることです。刺激を変え、報酬を変え、毎日コツコツ積み重ね、何よりも成功体験と報酬を体感させることです。
日常の中で徹底させるには、気持ちが思いを左右させるという原理です。気持ちに意識を向けさせるということです。そして気持ちにアプローチするには、自ら「気持ちを持って気持ちの表現する」ことができないとだめです。また気持ちを表現するには「気持ちを伝える言葉と表情や態度の一体化がいる」ということです。感情は行動に出ます。言っていることとやっていることが不一致だとそれはすぐに伝わります。それこそ精神性が不健全に伝わります。良心が問われるからです。
例えば、足を踏まれた時、気持ちは「痛い」わけです。それを相手に論理を展開して「こういうところで足元に気を付けなければ云々」などと御託を並べる人の言葉に耳を貸す人がいるでしょうか。恐らくは「なんだこの人」といった嫌悪の返しです。良くて慇懃に「すみません」程度です。こういったアンテナやコミュニケーションしかできない人を鈍感と云います。こういう人に人は会合をしてはくれないでしょう。この時は「気を付けましょう」ではなく、素直に「痛い」なのです。そうすれば反射的に「ごめんなさい」と返ってきます。タバコなどの場合でも、タバコの煙が気になる時は、「タバコは体に悪い」といった理屈ではなく、ただ「煙い」の方が伝わります。また誰かに親切にされた時は「すみません」ではなく、「ありがとう」です。アンテナの鈍い人の特徴は気持ち的な言葉が使えません。「ごめんなさい」や「ありがとう」が素直に口出ないのです。そういった内向き(ある種自己中心的)で閉鎖的な人がマネジャーになったら下は閉塞します。マネジャーに必要なのは何よりも精神性が健全であることです。そして良心と云うアンテナが張っていることです。人を良心に導くには、例え本音では頭に来ても「ありがとう」とか「ごめんなさい」で人の気持ちを鼓舞したり前向きにして聞く耳を持ってもらえる場を演出できるそれこそ高い精神性を持っていることが大事です。
それでは次回もよろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?