モメンタムをマネジメントする、着火編再び ~ソモサン第299回~
前々回、グローバル的にラップやヒップホップが音楽シーンを席巻し、ボブ・マーリーのレゲエが見直されるなど、社会が着火や燃焼と云ったモメンタムを切に求めている状態になっているとコメントしました。今回はそういったことをベースにモメンタムのマネジメントとして、いよいよ介入段階に入っていきたいと思います。
でもちょっとその前に。人と信頼を作っていく段階(一般にはラポールと云います)において、「人を知り自分を知れば百戦危うからず」ということから「人の個性、スタイル」を見極めてアプローチするという話をしました。その中で最も原点になるとも云える「ポジティブ姿勢」「ネガティブ姿勢」の原点を生み出すアタッチメントスタイルについてご紹介をさせて頂きました。愛着障害の原因にもなっているスキーマ(心の基底)です。
NHKの番組で簡易版ではありますが、自分の「アタッチメントスタイル」を測る質問が紹介されていましたので、ここに転載させて頂きます。皆さんも自分がどういうスタイルに傾倒しているか、自己判定してみてください。
①私は、その人に個人的なことを相談する。
②私は、たいていその人に自分の問題や心配事を話す。
③その人は、私にとって頼りやすい人だ。
④必要な時はその人に頼り、助けてもらう事ができる。
⑤自分が心の奥底で考えていることを知られたくない。
⑥私は、その人に心を開くことを心地よく感じない。
⑦私がその人を大切に思っているほど、その人は私のことを大切に思っていないのではと心配になる。
⑧その人が私のことを、本当は大切に思っていないのかもしれないと、度々心配になる。
⑨私は、その人に見捨てられるのではないかと不安に思う。
いかがでしたか? ①~④は〇の数を、⑤~⑨は×の数を数えてみてください。
合計が7個以上ならば安定型。4個から6個ならば不安型。そして3個以下ならば回避型になります。それぞれの内容は、前にも掲載しましたが、
安定型:人と親密に関わることが容易。信頼を心地よく感じる。
不安型:人間関係に非常に敏感。相手にどう思われているのか常に気掛かりになる。
回避型:自分のことを隠す傾向。他者と距離を置こうとする。
となります。
では介入に関して。介入。つまりアプローチの第一段階は感情のポジティブ化、まずは安心感の形成です。その第一歩は「笑顔」。そう「笑い」の創出です。モメンタムマネジメントの主軸は行動科学や脳科学による行動が感情を作るという相互作用論です。ポジティブ思考はポジティブ感情から生み出されますが、そのポジティブ感情はポジティブ行動、姿勢や態度、何よりも表情や口振りに表れます。そのポジティブの中でも最も
その感情を体現するのが笑いです。
では一体笑いとはどういったものなのでしょうか。以前にも俎上に上げましたが、改めて考えてみたいと思います。笑いとは、楽しさ、嬉しさ、おかしさなどを表現する感情表出、感情行動の一つです。笑いは一般的に快感というポジティブな感情とともに生じ、感情体験と深くかかわっています。笑いは感情表現の中でも極めて特殊で、人間的なものです。笑いには二つの根っこがあるとされています。
その一つは笑いとは常識とかの枠組みのずれによって生じるとする考えです。例えば誰かが滑って転ぶ姿で笑いが起きたとすると、「ここで滑って転ぶことなどありえない」という枠組み(時に思い込み)を受け手が持っていて、それがずらされたことによって笑いが起きたことになります。しかし、受け手の常識が「ここで滑って転ぶことは意外な出来事ではない」「ここで転ぶというネタは目新しいものではない」といった認識であった場合、枠組みのずれが発生しないため笑いは起きないことになります。同じ出来事に対して笑いが起きるかどうかは、受け手の持つ枠組みにも依存するところがあります。またこの枠組みのずれにおいては、相手に対して権威とか権力といった優劣的な思いが潜んでいる場合、その反応は苛烈化します。人は集団行動を基軸としているために自我地位には本能的に欲求行動があり、優劣には敏感です。優位意識は思わず露呈することになります。何れにしても、笑いには立場によって意味を変える性質があります。ある出来事がある人にとっては面白おかしい出来事であっても、ある人にとっては笑えない出来事であることもあるということです。さらに、笑いには攻撃的なものと愛他的・親和的なものの二つにも分類されます。気を付けなければならないのは、愛他的・親和的であることを意図した笑いであっても、受け取る側は攻撃されたと感じることもあるということです。
二つ目は「緊張の緩和」によって生じるという考えです。ドイツの哲学者のカントは「笑いは緊張の緩和から来る」と言いましたし。またフランスの詩人であるボードレールは、笑いには人の振る舞いによって引き起こされる普通の笑いと、奇妙・奇怪・醜怪・不調和・不気味・奇抜なものといった風変わりな状態によって引き起こされる原始的な笑いがあると言いました。更にスコットランドの心理学者のベインは、笑いとは私たちを安心させる些細なこと、卑俗なことに接触による緊張した状態から逃れた状態であると言いました。日本でも落語家の桂枝雀が同様の考えで、それを「緊緩理論」と名付けています。この考えは笑いが緊張の緩和を促す力があるということに繋がります。
笑いは通常は自分以外の対象があって、それから受ける印象に基づいてそれが自分にとって有益的、好意的であれば、陽性の感情(快感)に伴って生じてきます。
人間の心理の働きを理性と感情と二分した場合、しばしば理性に価値が置かれ、感情は下に見られがちです。理性は人間特有のものであり、感情は動物的であるとされるためですが、このような考えに立つ人は感情を表出することは「はしたない」と考え、それをできるだけ排除すべきと主張します。しかし現実的には理性が感情に従う場合の方が多く、両者は同列的に捉えるべきであり、またその力を侮るのは危険である。
笑いに優越感が絡むのは先にも述べた通りですが、笑うためには笑う主体がある程度の安定感を持つことが必要であり、不安定な時には恐怖や不安が先行するため「笑っている場合じゃない」という状況になります。これから逃れるには、安定感、引いては優越感を取り戻すことが早道です。それ故に人は笑いを求めることがあります。この安心感や優越感への回帰は自分自身の中での自問自答も含まれます。よって自分自身の馬鹿げた考えを自ら苦笑したりする際にも適用されます。笑いは心に余裕がないと出て来ません。緊張の高い時のほか、何かに夢中になっているときにも笑いは生じません。真面目に物事に取り組み、緊張が高まっている状況下ではその状況の中に心が入り込み一体化することで余裕がなくなります。こういった場合には自問自答の余裕すらも失われます。そういった不安定な状態に陥った時に人は笑いを求めます。笑いによって緊張感を緩め、冷静になり、理性を働かせるようになり、物事を中立に思考できる準備を持てるようになります。
緊張感が高い状況下で上手に人を笑わせる人がいると、笑いによって緊張がほどけ、余裕が出、自分自身を取り戻せる状態になります。しかしこの場合に笑わせることができるような人は、そのような状況からやや距離を置いて、安定してみていることができる人に限られてきます。適切な「距離」を置くことは、笑いの必須条件であり、このような心理的距離をもてるのは、場の外にいる人のみにできうることです。集団が緊張の蛸壺状態に陥った場合、それを笑いによって救出してくれる人に、人は感謝と好意や敬意を持ちます。
少し専門的に説明してみましょう。笑いによって自律神経の頻繁な切り替えが起きます。この結果、交感神経と副交感神経のバランスの状態が代り、副交感神経が優位な状態になります。副交感神経は、安らぎや安心を感じたときに優位になり、副交感神経が優位な状態が続くとストレス状態から解放されます。笑いは生理学的にも有意義なアプローチなのです。
笑いを演出できる人。常に笑顔な人。笑いが取れる人が人から好かれるのも、人に影響出来るのも、問題解決が早いのも道理です。皆さんも鏡で自分の顔を見てみて下さい。自分のセリフや言葉を振り返ってみて下さい。好意を持たれそうですか。影響して貰えそうですか。人の印象は入り口と出口で決します。入り口で好意を持たれるとその場はポジティブに進みます。最後に好印象を持たれると余韻効果が出ます。せめて入り口と出口だけは好印象を持たれるように、また笑いを取れるやり取りをしましょう。
因みに笑いをとる行動とは、ギャグやジョークを噛ます。小話をする。風刺をする。ユーモアを表すなどがあります。しかしくれぐれも相手と状況を弁えて、場にあった振る舞いをしてください。それでも大同小異で笑いを取ることは有意義です。関西の人の振る舞いは一定の指針にはなることでしょう。
最後に、亡くなったコラムニストの天野祐一さんは、ズレを作り出すのが関心を持たれる最大のアプローチである。その時笑いが取れるズレであれば最も記憶される。上手いズレのことを「イキ」、下手くそなズレのことを「ヤボ」と云います、と語っていました。都会のコマーシャルと田舎のコマーシャルを見れば違いは歴然ですね。もちろん田舎のコマーシャルでも180度回ってイキなものも一杯ありますが(笑)。
今週は診断質問もあったのでちょっと長くなりましたね。すみません、これはズレではありません。
それでは次回もよろしくお願い申し上げます。
さて皆さんは「ソモサン」?