モメンタムをマネジメントする、燃焼編⑨ ~ソモサン第294回 ~
それでは前回予告させて頂いていました「チーム集中力」の話へと移行しましょう。チーム集中力とは「チーム内の横の関係が(感情的に)調整されて全員が高参画高熱中の状態になった時のパフォーマンス」を云います。リーダーやマネジャーの最優先の仕事は、最高のチーム集中状態を作り出すことです。
相手が大切にしたい価値観を理解することによって意味やモチベーションが生まれ、やる気に変化が起きてモメンタムが着火します。これは集団単位でも同様で、これをシナジー効果と呼ぶ場合もあります。
集団は横の関係が調整されたときに始めて「チーム集中」というチーム単位でのモメンタムが生じてきます。そうです。「チームにも集中力がある」のです。そしてその集中力はチームレベルでのモメンタムを生み出します。
ところで東北大学では世界で初めて「チームが『ゾーン』に入ったときの脳活動」について明らかにしました。研究では、チームフローの状態では中側頭皮質で、ベータ波とガンマ波が増加していることが判明したそうです。また、チームフローの状態では通常のチームワーク状態に比べて、チームメイトの脳活動がより強く同期することもわかってきたそうです。このデータを信じる限り、「チーム全体がフローに入っている」状態になれば、生産性が高まるということは言うまでもありません。実際、チームスポーツの中で「心が一つになっている」という感覚を得られますが、東北大学の研究はそれを「脳」の観点から明らかにしたと云えます。そしてこれは仕事のチームにおいても同様と云えます。ではどうすればチーム集中力は高まるでしょうか。マネジメント・アプローチとしては先に述べたとおりです。
では具体的な手立てに進みましょう。まず有効な手立てとなるのは「行動を同期させるルーティン」を持つことです。たとえば「昭和時代」にあった合同で「朝礼」「ラジオ体操」「社歌を歌う」などは、行動を同期させるという意味においては実はとても効果的でした。
最近は若い人に迎合して何にでも、合理重視での「論理的にものごとを判断することが良し」とされていますが、そこに傾倒しすぎるのは危険です。まず若い人は実戦的な経験、特に感情の拡張的な経験が足りていません。論理はあくまでも経験などの情報知の量や幅によって形成されますが、その何れもが脆弱です。だから面倒だからと云って今の若い人に合わせすぎると大事なものまでなくしてしまう危険性があります。若い人が正しいわけでもないということです。論理とは既知の情報での想像ですが、この中には経験からくる感情的な学びは含まれていません。人の創造を生み出すのは感情です。その一つが(ふれあいによる)チーム集中力による創造性です。感情の刺激を与える機会を失うとその集団は沈滞化し、やがて衰退していきます。
実際に成功している中小企業の従業員にその活性理由を聞くと、「社内運動会」とか「社内旅行」を挙げるが大多数います。「最初はえー、と思ったが実際に参加すると燃えた」「会社内では知らない上司や仲間の違った顔を見れて距離が縮まった」といった声が出てきます。「飲みにケーション」が生んだ会社文化や価値観の引継ぎなども重要なチーム集中の要素と云えます。
その意味では、コロナ禍で一気に浸透したリモートワークは、チームとしての集中には一定の弊害を生み出しました。そのため現在は再び出社する会社も増えましたが、「割合をもって在宅でもよい」と勤務スタイルの選択肢を増やした会社も沢山あります。チーム集中やチーム・シナジー(相乗性)を考えて、毎日全員が出社といかなくても、たとえば週に1度、月に1度は集まって何か同じことを全員でやる、という施策を再考する必要がある集団もあるものと思います。要は柔軟性と独自性です。そこに創造性の種がある組織であるか否かの根っこも見え隠れしてきます。
さて皆さんはお立場に応じてこういった心構えや行動は出来ていらっしゃいますでしょうか。マネジャーが立場に応じたモメンタムを注視した行動をとれば、応じて社員はモメンタムの高い行動を劣り始めますし、その凝集体であるチームもその集中力を高め、モメンタム・チームとして生産性向上に邁進することは間違いのないところです。
このように組織活動や人の感情的な動きにおいては、これまでの情報知では合理ではないとされる判断も大きな広がりを迎えつつあります。さてでは続きは次回のソモサンでお話しさせて頂けますと幸いです。
では今回の最後として、タイプ別のモメンタムマネジメントの効果的なアプローチについての納めに入って行くことに致しましょう。
まずは自責タイプか他責タイプかです。これは語弊があるといけないのですが、何かがあったときにその責任を自分自身に向けがちか、それともまあ色々と他にも原因はあるさということで、悲観か楽観かに繋がってくるクライテリアになります。決して自分の性とか他人の性と云った二値的なクライテリアではありません。この点を注視して捉えて頂けますと幸いです。
それでは次回もよろしくお願い申し上げます。
さて皆さんは「ソモサン」?