モメンタムをマネジメントする、燃焼編⑦ ソモサン第291回

マインドフルネスとかモメンタムのような概念を耳にすると、一定の「科学的でない」といったアンチの声が聞こええきます。

ところで皆さんはちゃんと「科学的」という意味に対する定義をご存じでしょうか。今回は「科学的」という言葉の持つ意味合いからブログを始めて行きたいと思います。

まず「科学的とは何か」ですが、これには明確な定義があります。その一つは普遍性です。普遍性とは「広く一般の理解や共感が得られたり問題とされる全ての事象に適合される性質」を云います。つまり特定の条件下ではなく、いつでもどこでも適応できるということです。そしてもう一つの定義は再現性です。再現性とは「同一の条件下では必ず常に同じ事象が現れる性質」を云います。

これをより具体的に説いたのがガリレオ・ガリレイです。彼は「科学的とは以下の3つの条件的活動を満たすことである」として、

①観測できること

それを数値化してデータ化出来ること

③そのデータを関係付けて法則化できること

としました。この定義に従うと「数値化」ということが大きな比重を占めてきます。これによって現代の科学を扱う業界(例えば大学とか)やそこが依拠する権威付けは総じて「数字」「データ」をエビデンスとした「エビデンス主義」が軸足になっています。この考え方は「初期条件が分かれば普遍法則に照らし合わせて未来予測が可能になる」という論理になります。これは演繹的思考の典型です。更には普遍法則とまでは行かなくても、観測をもってデータ化を積み上げることから準法則を仮説化する帰納的思考の論拠でもあります。

そういった観点から見る限り、科学の信憑性や信頼性という観点から見れば、このエビデンス主義は重要です。

一方で現実性から見た限り、「今ここ」における実用性から見ると、これが様々な足枷となっていることも事実です。まず「数値化」における数値は最初から数値として捉えられる事象ばかりではありません。観測データを積み上げることから数値化されるものが多々あり、その観測データ自体が実践の積み上げから生み出されて数値化されるものが圧倒的に多いからです。例えば昨今のマインドフルネスにおける効果などは好例で、今や厚生労働省に認可された処方になっています。

このエビデンス主義は、最早信仰にも近い依存症の方もいて、「とにかく何処からも刺されないため」の保身材料としてあげつらう人もいる状態です。これはある外資系企業から聞いた話ですが、某大手の電機関連企業で「最新の技術」がアメリカで開発されたので、一番に紹介をしに訪問したら、そこの技術責任者が「とても素晴らしい技術だ。是非他で使ってもらってそのエビデンスが出来たらもう一度弊社にも紹介してほしい」と返されたとのことで、結局その技術である欧米企業は業界の覇者に躍り出たとのことです。まあこれが今の日本企業の趨勢で、これで円高主導など笑止という他ありません。

このような行き過ぎたエビデンス信奉の風潮は今の日本の特色にもなっていて、何かあると「科学的でない」とやらない言い訳や当事者意識からの逃避に対する抗弁になっているのも事実です。新しい世界を切り拓くには過去を前提とした分析主義では歩みは持てません。こういった会社は一生懸命に分母のコスト圧縮に終始して延命を期するばかりで、結局は縮小による退場を待つばかりとなります。ここで必要なのは社会構成主義的に仮説を推し進めるアブダクション(仮想的思考)です。「似非科学的」といったずれた思考をする若者が大勢となる限り日本の未来は先行き真っ暗になるばかりです。ただの要素還元的で数値の分析に終始するような狭量な科学主義ではなく、社会構成的に要素間のつながりや法則性を仮説的に施行するような広範な科学主義をきちんとわきまえての物事の見方ができる人材育成するべく、教育機関は真摯に取り組んで貰いたいと切に願うばかりです。

さて今回はタイプ別でのアプローチについてです。人のタイプを最も大きく区分けするインディケーターは二軸あります。一つは情報収集に対するタイプです。そしてもう一つはその情報をどの様に処理するかに対するタイプです。情報収集に関しては、情報の関連性を軸に感覚直観的に情報収集するか、細かく事実データを集積することを軸に情報収集するかに大別されます。前者は情報を全体的に把握しようとしますし、後者はまずは情報を詳細に理解しようとします。

そして情報処理に関しても、その情報を手にしたらすぐに動いて検証したがるか、情報を手にしたら、まずはじっくりと考えて動こうとするかで大別されます。前者は右脳優位の感覚感情型で、後者は左脳優位の論理思考型と云えます。この二軸をそれぞれX軸とY軸としてマトリックスを描きますと。大きく四象限が現れてきます。それぞれ

 

直観思考、

直観感情、

事実思考、

事実感情

 

と四つのタイプが浮かんできます。それぞれ強みも弱みも内在されていますが、重要なのはタイプが違うと認知や捉え方や動きの在り方が異なるということ、また相互理解がないままにはお互いのタイプはうまく嚙み合わないということが云えます。

特に間違いないのは対極のタイプはよほどの歩み寄りの努力を意識しないと最初から離反して相互不信が前提となってしまうということです。例えば直観感情タイプと事実思考タイプはもはや性格の違いの如く、お互いに忌み嫌い合う関係に陥ってしまう可能性を秘めているということです。反対両者が相互協力し合えば、その生産性は飛躍的になります。

直観感情タイプは、率先して行動を起こしますが、多少軽率な面があります。考えたり、分析したりすることなく、誰よりも早く行動を起こすということは強みと弱みが表裏一体の関係にあることを示します。一方事実思考タイプは、体が動く前に頭が動く人で、機が熟するまで、ほかの人が行動を起こすまで待つ傾向が強く、機を逃す確率が大きいというこれまた強みと弱みが表裏の関係にあります。

これらの特徴は、言動でも見極められます。前者は「すぐやりましょう」とか「今すぐが良いですよ」「まずはやってみましょう」と発言しがちですし、後者は「まずは他の動きを見てからやりましょう」とか「まずは考えてみましょう」「もう少し情報集をしてみましょう」といった発言をしがちです。

このように人にはタイプがありますから、マネジメント・アプローチも「人を見て法を説く」のように、動機づけに工夫があるとモメンタムを高めることに役立ちます。

この辺りは次回にすることに致しましょう。因みに今週はゴールデン・ウィークに入りますので、次回の配信は連休明けの5月7日にさせて頂けますと幸いに存じます。

皆さんも休む時は休む、ということで、ゴールデン・ウィークを満喫していただけますと幸いに存じます。

それでは次回もよろしくお願い申し上げます。

 

さて皆さんは「ソモサン」?