モメンタムをマネジメントする:着火編 ソモサン第282回

今回からは具体的にモメンタムをマネジメントする技法に触れていきたいと思います。モメンタムをマネジメントする技法はこれまでJoyBizでは「LIFT(Life Intention force Treatment:生き方の方向付けと勢い付けを調整する)」という総称でアプローチしてきましたが、その中にある「勢い付け」に対するボンズ・アプローチがそれにあたります。代表的なのはペップトークですが、その第一歩として求められる「人を見て法を説く」という領域へのアプローチがシグナル・マネジメントになります。

シグナル・マネジメントにおける「シグナル」とは身体から発せられるサインのことです。一般にはノンバーバル(非言語)と言われています。人はその性として「自分に嘘は付けない」という本質があります。知情意で見た場合、嘘とは意の領域にあります。意は知と情とで表現されますが、思考である知で意を歪めても気持ちである情はそうそうは歪められません。ですから意を歪めた思考で強引に感情を制御しようとすると、そこには必ず亀裂が生じ、人は心を病むことになります。また強引に感情を抑え込んだ場合、その亀裂は感情に直結した身体に現れます。皆さんも耳にしたことがあるかも知れませんが、「心身症と言われる症状がその典型です。

このように人は日常的にはそうそう気持ちに嘘を付くことなどは出来ません。ですから人の本音は言っていること(バーバル)よりも表情や態度(ノンバーバル)といった感情を示す身体の反応に如実に現れてきます。

人に関心の高い人は、この身体的な反応で示されるサインをしっかりと観察して心の動きを見逃しません。また相手に自分の心の内を知らせるべく身体的反応を効果的に示す動きを良く取ります。

感情的反応は身体につられて言葉の口調や言い回しにも表れます。また口の利き方や隠喩表現にも表れます。ですから人に関心の高い人は会話においてもその内容や表現だけでなく、言葉の裏側や口調、言い回し、そして身体的反応である態度や表情などを複合して受け止めますから、「言葉尻」とか「発した言葉」のみでは判断しません。決して言葉を丸呑みしません。

そうやって昨今の市井を見渡しますと、如何に言葉を丸呑みした反応を繰り出す人が若者を中心に多いことかと嘆息します。マスコミの若手の記者なども同様です。それだけ今の人は人に関心が乏しく、常に自分ばかりを見つめているということが分かります。これではコミュニケーションも入り口でとん挫しますし、信頼関係づくりなど端緒にも付けるはずもありません。現代の孤独感の増長と蔓延はこういったところにも原因があると思う次第です。

因みに優秀な演者たる俳優さんなどをみると、この感情表現に卓越したものがあることが顕著です。そう身振りや手ぶり、表情や言い回しといったノンバーバルの表現が秀逸なわけです。まさに成り切るといった按配で、女優の大竹しのぶさん(私と同い年です)などは「憑依系」と称されるほどです。面白いのはこういった人ほどスイッチの切り替えが卓越していて、良い意味で感情の出し入れが上手で溜め込みません。

反対に切り換えがへたくそな人ほど日常に感情のストレスを持ちこみがちで、その抑圧が私生活で爆発して、モラハラに発展することもあるようです。この動きは当然女性にもあるわけで、それを食らった伴侶はそのストレスを他の異性に持っていってしまい、いわゆる不倫話を起こす場合も多々あります。マスコミはそういった時に不倫を起こした方を一方的にバッシングする偏向をしますが(単細胞なのか売れ筋狙いなのかは分かりません)、原因はモラハラにある場合もあるわけです。そうなると発端は女性側にあるわけで、そういった状況でマスコミが無責任に「聖女」扱いするのは女性にも大きな負担となることでしょう。きちんと取材もせずに思い込みや偏見で動く低レベルのマスコミ権力も問題ですが、それを鵜吞みにしてバッシングに自分のストレス発散を乗せる愚集も問題です。これは少し人に関心を持てれば簡単に看破できる話です。皆さんにも慧眼を期待するところです。

ところでこの切り替えが利かない俳優さんなどに共通するのは、無論全部ではありませんが、やはり利己的(自分だけに目線がいくということ)な人に多いようにも映っています。利他的で人に関心が高い人は、感情の切り換えが上手である印象があります。演技は演技と割り切れるからです。さて皆さんは如何でしょうか。

さてさてそれではシグナル・マネジメントに入って行きましょう。

シグナルとはノンバーバル・メッセージだと紹介させていただきました。ノンバーバルには、アイ・シグナルを筆頭にブレス・シグナルムーブ・シグナルなど相当の種類のシグナル・サインがあります。シグナル・マネジメントはこのシグナル・サインを一つだけではなく、複数絡み合わせて本音や気持ちを読み解いていきます。

例えばアイ・シグナルですが、神経学ではLEM(lateral eye movements)と云います。人は思考のあり方によって決まった目の動かし方をしますが、イメージを思い起こす時には左上をみるとか音を思い起こす時には左横を見るといった習性を読み解いていくアプローチです。加えますと、考え込むときは左下を見つめますし、反対に空想するときには右上を見るといった按配です。ブレス・シグナルは呼吸の在り方です。興奮した時に呼吸が荒くなるのは皆さんも周知の話です。フェイス・シグナルは眉や頬、口元といった表情です。ボティ・シグナルは顔色や肌色、肌の状態といった生理反応です。ジェスチャー・シグナルは身振りや手ぶり、姿勢や態度のサインです。ムーブ・シグナルは話し方や口調です。

ここで気を付けなければならないのは、シグナルには基本形と反応があるということです。人は皆固有な存在なので、それぞれに癖があります。ですからある人にとっては普通であっても、別の人から見ればオーバーアクションに見える場合もあります。ですから「人に関心を持つ」とは、日常に常に意識をもって人を観察して情報を蓄積しておくことが重要になります。暗黙知のデータマイニングを怠らず、体感的なデータベースを充実させることが鍵になります。そしてこういったことに意識を持つこと自体が「関心の本質」ということになります。

ではムーブ・シグナルを見てみましょう。ムーブ・シグナルの基本形は、優位感覚で見た場合、まず視覚優位な人は基本早口で甲高い声で話すとか聴覚優位な人は小さくリズムをしながら、澄んで歯切れの良い話すといった特徴があります。これは胸全体でブレスする習性があるからです。しかし体覚優位な人は違ってきます。この人はむしろお腹でゆっくりとブレスします。その為に声は低く、ゆっくりと間をおいて話します。このようにシグナルを捉える際には、最初に基本形を押さえた上で変化を見抜くことが重要になります。

因みに人が固有に持つ基本形のシグナルに合わせて相手にシンクロナイズすると、その相手は胸襟を開くと提唱し、それを使ってカウセリングのエキスパートになった精神科医、心理学者がミルトン・エリクソンという人です。これらのシグナル・マネジメントに関してはソモサンの183回から189回に渡って触れていますので気が向いた方は是非ご参照ください。

さてボンズ・アプローチですが(最近の読者の方へ。ボンズ・アプローチとは「坊主の関り」ということです。寺のお坊さんは概ね相談上手です。これはお坊さん特有の心構えと技法を体得しているからです。このお坊さん特有の技能をボンズ・アプローチと称しています)、「人を見て法を説く」とは「人を見て」と「法を説く」とに大別されます。当たり前の話ですが「法を説かねば」変化は生じません。問題解決が出来ません。この「法を説く」において重要になるのが「相手の状況に合わせてやり取りする」ということになります。

人への関りに関して有名な語録を残したのは「上杉鷹山」です。これを「山本五十六」も転用しています。それは「してみせて、云って聞かせて、させてみる」という格言です。山本五十六は、更に「話し合い、耳を傾け、承認し、任せる」とも言っています。皆さんお気づきですか。前者の言葉は「着火モメンタム」に対するマネジメントの本質、後者は「燃焼モメンタム」に対するマネジメントの本質を語っています。

着火モメンタムは「気持ちを勢いづける」ということです。これは「行動によって感情に揺らぎを起こす」とこから始まります。モメンタムは人の心の中にある火種に煽りを点けることですが、元々着火点が低い人は火が付きやすくくセルフ・スタートするのは自明の理で、放っておいてもよい話です。問題は着火点が高い人です。こういう人には外からの後押しが求められます。それがマネジメントです。その時アプローチする順番があります。「勢い」とは「うねり」のようなものです。心にうねりを起こすには、外からの仕掛けが要ります。それが感情的熱気、いわゆる情熱の場合、何よりも率先垂範が火種になります。昔の青春物でだらけた生徒の心に火を点けたのは何れも「火の玉小僧のような教師」でした。その行動と言動に釣られて生徒は動きを起こしたのを思い出します。最近見た映画で元常盤炭鉱にあるスパ・リゾートの「フラガール」でも教師の踊りの激しさに感化された生徒の心に火が灯ったシーンが印象的でした。その火が町全体に飛び火する姿は圧倒的で、未だに地域再生の成功例とされるのは「さもありなん」といった風情です。このくだりがまさに「してみせて、云って聞かせ」です。「云って聞かせ」はナビゲートとコーディネートですが、大事なのは「恐れ」や「不安」の低減と導きです。誰しもが最初の一歩は不安です。この時に大事なのは勇気づけによる「安心」と「自信」の生成です。とにかく空気をポジティブにすることです。

日本のマネジャーは(自らが不安で自信がないからなのか)防衛的に高圧的でネガティブにアプローチする人が大多数です。これこそ先に述べた利己的な女優のようなもので、ストレスのはけ口を権威によって吐き出しているという見苦しさの典型で、着火モメンタムとは真逆のアプローチです。

この状況は攻撃という防衛機制に限ったものではありません。

マネジメント逃避も同罪です。

マネジメント逃避とは「してみせて」に良く表れますが、単にして見せるだけで、後は「背中で学べ」といった態度を取ることです。多くの場合、上からされたアプローチを模倣するケースが多いのですが、注視してみていると「親切というよりも恨みの代送り」といった観があります。「されたことを下にし返す」といった様相です。まあそれしかやり方が分からない。教えられていないので模倣するしかない。といった心境もあるのかも知れませんが、これらは結局は利己的な心構えからくるマネジメント逃避です。私は若い頃同様な振る舞いをしていた時期があり、尊敬する経営者から「お前は孤高の人を気取って、下の面倒を見るよりも自分を高めることに注力し、下はその姿を見て学べ、といった姿勢が見える。だが覚えておけ。人は自分もああなれるとかああなりたいと思えば付いてくるが、ああはなれない、ああなりたくないと思ったら離れるぞ。組織で孤立することほど致命的なことはない」と忠告されたことがあります。その時の心境は

「まさに自信のなさによるマネジメント逃避だったなと射抜かれる」思い

だったのが改めて心に浮かびます。

マネジャーの仕事は何よりも「雰囲気づくり」です。

それにはまず自分が火種になることに注力することです。ポジティブで勢いある「気」を演出し、まずは配下の人たちを「前向きな気分」にすることです。それには部下やチームの基本形を熟知しておく必要があります。

ところで、私は仏教でいう「称名」とはモメンタムを発動させる呪文であるとみています。「南無阿弥陀仏」とはヒーローものでいう「変身」という掛け声と同じ働きを持っています。称名の意味合いは「称名によって身体に阿弥陀仏が宿り、それによって苦境を打破する」といった概念ですが、そういった思いの前に独特の口調やリズムで気持ちを徐々に勢いづかせる技術であるとみています。そしてそれを定着させるためにお坊さんはマネジャーとしてお寺ではより高度な読経によって「着火モメンタム」の火種を信徒に撒いているわけです。ですから「称名」は口に出すことが重要になります。また読経も同じ作用として口に出して信徒とリズムを合わせて通称することが大事になります。瞑想でマインドフルネスして称名でモメンタムする。かなり高度な技法であると古来の知恵に感嘆するところです。

皆さん宜しいですか。マネジャーとプレイヤーはそもそもの仕事が違います。プレイヤーの延長がマネジャーではありません。日本ではまともなマネジャー教育もせずに、ややもすると年功的に、或いはプレイヤーとして優れているからとマネジャーにしますが、基本の仕事が違うということを銘記するべきです。確かにプレイヤーとしての自分の能力を配下に伝授することは仕事の一つではあります。しかしそれは配下との関係やチーム内での信頼があっての話です。マネジャーの仕事は雰囲気と信頼を作ることです。ここでいう率先垂範は「仕事の能力」に関しての話ではありません。「勢いという気分」を作り出すことです。着眼点をしっかりと押さえて頂ければ幸いです。

さあ、「着火モメンタム」が押さえられたら、次は「燃焼モメンタム」です。燃焼モメンタムは「思いを勢いづけること」です。思いを勢いづけるには、何よりも「思い」を醸成しなければなりません。また組織のマネジャーならば「チームとしての思い」を束ねなければなりません。その時にポイントとなるのが「話し合い、耳を傾け、承認し、任せる」というアプローチになってきます。これはこれで長くなりますので、改めて次回のテーマとさせて頂きましょう。

それでは来週もよろしくお願い申し上げます。

 

さて皆さんは「ソモサン」?