• ソモサン第166回目 「組織道を支える力理という考えについての理解を深めていく、その五。」

ソモサン第166回目 「組織道を支える力理という考えについての理解を深めていく、その五。」

ショートソモサン(1)心理的葛藤が起きたときに自分はどういう反応を示しますか? ~バレンシーの意味~

皆さん、おはようございます。
もう30年以上前になりますが、当時私が所属していたコンサルタント会社のカリスマ経営者に仕事を依頼したとき、その中で「バレンシー」なる言葉を教えて頂きました。調べますと「結合価」とか良く分からない意味が出てくるのですが、彼曰く「これは心理学の用語で最終選択に対する価値観である」とのこと。語彙は未だに分からないのですが、意味するところは非常に深いので、皆さんにもご紹介させて頂きます。

 対人関係はお互いの力動的な影響力のせめぎあいからバランス的に成り立っているのが本質であるということはこれまでに紹介してきました。それではそのせめぎあいはどのような経過を辿って行くのでしょうか。うまく対処できれば良好な関係が築けますし、対処を誤ると間に大きな亀裂が入ってしまうことになります。

人は対人間で心理的な力動(無意識のレベルに影響を及ぼす心理刺激)が負荷されるような状況下に置かれると、相手に対してどのような対応行動を取ればいいのかが分からず、必ず定型的に共通する反応行動を取ると云うのが導入です。まず第一段階として出るのは「依存」あるいは「反依存」という反応行動です。

依存とは文字通り自分の意思を放棄して人に頼って判断や行動を取ることです。面白いのは依存状態が続くと自分不在の状態にストレスが起こり、自己反発によっていきなり反依存に転換するということです。反依存とは今度は人に対して何でも反発した行動を取る反応です。まあ反抗期の行動と類似しているかもしれません。そうなると相手方からすればどう関わればいいか混乱してしまうことになります。

まるで波乗りのような状態です。ここをうまく乗り切れば、つまりうまく対処できれば、依存と反依存の振れ幅は徐々に小さくなり、本人的にも動揺が収まり適度な距離感が保てるようになるのですが、対処を誤ると状況は第二段階に突入することになります。 それは「ペアリング」と呼ばれる行動です。ペアリングとは影響力にあがなおうとして離反をするために自分の状況とよく似た仲間を募り、常に行動を共にするという反応です。(女子学生に良く見られる連れ立ち行動が好例ですよね。)世の中に対して不満を抱えた人たちが寄り集まって過ごすことで一定の心理的安定を得ようとするのも一例と言えるでしょう。

ペアリングすることで自分の存在や意思を相互に保障しようとするわけです。それでも力動的な圧による心理不安が収まらないと、分派と呼ばれる離反行動に発展します。そうして影響力を無視しようとする反応が起こります。そしてその反応はどんどんと苛烈化して、「ハレーション」つまり元々所属していた組織や団体に対して批判的態度を示すようにすらなり得るのです。

さて、今回ご紹介する「バレンシー」は、ここから先に生じる反応行動のことです。人は誰しも心理的に追い込まれ思考が混乱した状態に陥ると、「闘争」か、あるいはその正反対の「逃避」という反応のどちらかを選択し、それはその人の「習癖」によって必ず同一の選択をするといいます。

バレンシーとは、闘争と逃避という相反する反応パターンのうち、最終的な局面でどちらを選択するかという、一種の「心のルール」と考えられます。つまり闘争するタイプは、何時いかなる時も闘争的反応を取りますし、逃避タイプは何時でもどこでもどんな状況でも必ず逃避という反応行動を選択するというのです。これは大きい命題です。

ショートソモサン(2)あなたの身の回りの人のバレンシーはどうか?今おかれている状況に合っているか?

その時経営者は事例として「葛藤状態になった時に逃げる人は追っかけても無駄だ。また同じ状態になると逃げるから、留めても結局は損するだけですよ」ということで「彼や彼女との決別」を話されていました。確かに困難時に逃げる人は、それを留めてもまた逃げるというのは恋愛劇でよく目にするところです。

これは男女性別は関係ありません。一般に男性は男気に代表されるように闘争的であるとか女性はか弱いので逃避的だとかと強い弱いに引っかけて思い込みを持つ人も多いようですが、女性でも困難な時に闘争的に立ち向かう人もいますし、一方で男性でも葛藤を回避したり、逃げる人はとことん逃げます。

どっちが良いということは本質的にはありません。逃げるが勝ちと云う状況があることも確かです。しかしリーダーシップや責任が問われるような状況下ではやはり逃避タイプは頼りにならないどころか裏切られる結果が目に鮮やかです。特にビジネスのような社会や組織のような共同体では闘争タイプの方が頼りがいや信頼が高いのは否めません。

当時私の先輩はこの話を横で聞いていて、感慨深げに「俺は本当にこれを気を付けなければいけない」と呟いていました。彼は銀行を辞めての転職者でしたが、常日頃は「自分はコンサルタントと云う仕事に興味があるので転職した」と公言していました。この話を聞いて、私に「実は銀行では将来的に目が出ないと思って逃避したのが本音で、自分は逃避バレンシーだから常に自分を戒めねば、また逃避してしまうかもしれない」と語ったのです。

バレンシーは簡単には転換できません。習癖のようなものだからです。でも一つだけ方法があるとすれば、自分がどっちのバレンシーであるかをしっかりと自認して、自己統制をする、常に自分に言い聞かせをしなければなりません。経営者は講義の締めくくりで「人の成長は自己受容と自己選択を自身に徹底させる以外に手立てはない。そして最も重要なのが自分のバレンシーを管理することである」と云っていました。

先の先輩は、社内で望む出世が遠ざかったと認知すると、結局は転職していきました。やはり逃避バレンシーは統制できず、自己修練して難局打開をして自己成長をしていく気概も力もなかったのだなあ、と実感する次第でした。私は闘争バレンシーですが、確かに逃避の人たちは当てにならないし、信頼に欠けると経験を通して見ています。

何よりも打たれ弱いのが典型的な選択行動と云えます。少なくとも組織において上位にしては危険だと思っています。バレンシーこそ意の骨頂です。スキルや知ではなくこのような意をもって採用や昇格を見ていかないと組織瓦解に繋がりかねません。リーダーシップは知よりも意をもって啓発評価をすることが肝要です。

皆さんの会社では何をもって人を評価して採用や昇格させていますでしょうか。意のない人に幾ら知や技の教育を行っても「暖簾に腕押し」です。

皆さんも自己は元より、マネジメントとしてバレンシーに注視した人への関わり合いをもっと重視していただけますと幸いに思うところです。

それでは来週も何卒よろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?

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