• 頭が良いとはどういうことか、を脳科学やバイアス論的に考察し、ネット社会での弊害を考える(2)

頭が良いとはどういうことか、を脳科学やバイアス論的に考察し、ネット社会での弊害を考える(2)

前回は、「頭の良さの根底的かつ重要な要素として自分自身の中にあるバイアスを内観できること」とお伝えしました。

前回の記事執筆時からでも、さらに世間はコロナ禍の中でまた「頭が悪い」と言わざるを得ない状況が出てきています。特にSNSなどの発達は、正義心というバイアスに基づいた他者攻撃を横行させ、今はいったい何が大事なのかを見失わせてしまっている場面もますます増えています。一部の大手企業がこの災害的な状況の中で社会の公器として実施する支援に対しても、性差別的な観点での批判が横行するなどの「正義心ありき攻撃」はいい例でしょう。

 

ネット社会では「フィルタリングバブル」という言葉があります。後述しますが、ネット社会では構造的に自分の好みの情報が送られてくるようにできています。それが自分を覆いつくす泡のように拡大し、それが世界だと思い込むようになるのです(フィルタリングバブル)。今もこれからの社会もですが、そもそも自分が持つバイアスが強化されやすい世界に住んでいると一人一人が自覚しなければなりません。

一時期「メディアリテラシー」という言葉が流行しましたが、今はもうリテラシーという言葉では生ぬるいように思います。フェイクニュースがダメだ、とはだれもが言いますが、フェイク的なニュースに動かされている自分にはなかなか目が向きません。現在はリテラシーではなく「メディア護身術」くらいいわないといけないくらいのジャッジメントの「体力」が求められているように感じるのです。そのためには自分の意に目を向け、気づくことが最も肝要です。

 

今回は前回から引き続き本当の「頭のよさ」を身に付け、社会還元していくためにできることを考えたいと思います。

~内集団バイアスという短絡思考

では具体的にどう気を付ければいいのでしょうか。

人は誰でも、どんなに気を付けていても自分が属している集団の人を外の人より良いと感じる「内集団バイアス」を持つ習性があります。その為外の集団に対しては短絡に「頭が悪い」というレッテルを簡単に貼り付けてしまいます。集団にとって、外の人々を一律に括って処理できるというのは、脳がかける労力的に効率が高い行為です。

「ああ云う連中だから放っておけ」とひと括りにしてしまえば余計な思考や時間を使わずに簡単に問題を処理することができるわけです。しかし外の集団の人々も当然個々に様々に違いがあり、個々に歴史や独自の考えもあるわけですから丁寧に判断をしていく必要がありますが、このバイアスによって一刀両断できてしまうのです。

「アジア人とはそういうものだ」「男性(女性)はそういう行動をとるもんだ」といった決めつけはそういったバイアスが関係しています。つまりこの内集団バイアスが強い人は様々な局面で差別的な思考をしがちであるということです。

内集団バイアスは当然「内集団」指向の強い環境下で発生しやすいのが道理です。いわゆる村社会とか閉鎖組織です。外を知らない。変化を知らない組織や集団ほど「内集団バイアス」は強く働きます。私の経験でも農協のような組織はこれの最たるものです。

ですから全国組織か地域組織に関わらず当該する組織では「内集団バイアス」に基づいた思考や行動が随所に現れ、結果それが改革の阻害になっています。幾らそれを指摘してもアンコンシャスバイアスの魔力にひれ伏していますから耳に入りません。これを払拭するには、外に出る以外にありません。中の人で幾ら知を講じても論を立てても「井の中の蛙」なだけなのです。政党組織や学校組織などもこの範疇に入ります。

「内集団バイアス」を改革するにはこの改革の前に集団自体の改革が必須です。「確証バイアス」というバイアスがあります。これは「自分に都合の良い情報だけを集めて自分の正当性を補強したがる」というバイアスです。最近顕著な悪害は、ネットコミュニケーションです。一言で云うならば、「ネット社会は確証バイアスを増長させる」ということです。

~バイアスを強化するネットビジネス

例えばSNSでは似たもの同士でつながることが多く、自分と同じような思考をする集団から自分が欲している情報だけを取り入れるようになります。そして日々それを繰り返していると、何時の間にか「自分は正しい、自分の主張こそが正義だ」と思うようになり、加えて「この情報は世界レベルだから」という勘違いが働いて、「これが世の中の真実だ」と考えるように仕向けられてしまう。こういった現象が確証バイアスの持つ恐ろしい側面です。

 

常識ですが、インターネット世界でのビジネスとは、単純に云えば、広告媒体としてネットユーザー達に如何に「クリックをしてもらうか」という活動です。それには個々の検索の傾向を収集し、それに合わせて関心のありそうな情報や広告を提供するということになります。ところがユーザー本人としては、毎日ネットの世界と接して新しい情報を補給しているつもりが、巧妙に自分の嗜好をもとに構成され、自分好みに偏った情報が示されているだけの状態に陥ってしまうことに気が付かなくなってしまいます。

ネットで新しい知識を得たとか新しいニュースを知ったと思っていても、実際のそれはかなり意図的にフィルターをかけられた情報ばかりで、自分の世界は非常に限定的であるかもしれないということは、日々においてかなりの意思で自分を戒めなければ、情報操作されることになるということを認識する必要があります。

私の場合もネットで情報があふれる中で全ての情報に目を通すわけには行かず、日々は結構同じサイトやネットニュース源から情報を得ている面があります。今日のネットビジネスはそういった心理学的な技術を専門部門が駆使して、自分たちに都合が良いような情報を操作的に送ってきていることは間違いありません。

特に日本人は権威主義ですからそういったメディアが情報操作をするともうイチコロです。そこが内集団バイアス的組織ならば盲信も極みの状態となります。かの不倫問題の俳優騒動も、もしかしたら鬼嫁が生んだ悲劇かもしれません。

 

まずは情報源の多様化を行うことと同時に、何よりもエビデンスベースの論理思考力の切磋が大切なアプローチになります。エビデンスベースの思考力は先の正義中毒で云うと「何故自分は許せないのか」を客観的に考えることから始まります。エビデンスを明確にするためにはエビデンスをきちんと情報ベースでかつ論理思考で捉えることが前提ですが、その前にそれをする心構えを作る必要があります。

それには、まず自分が正義中毒状態になってしまっているのかどうかを自分自身で把握できるようになっていなければなりません。

「問答無用、あの男性俳優はけしからん。○○ちゃん(パートナーの女優)は可哀そう」「○○党は許せない」「最近の若い連中はなっていない」などといった怒りの感情が湧いたときは、その感情を増幅させてしまう前に内観してちゃんと自分はデータベースで考えているか、論理として欠落や歪みはないか、バイアスが作動していないかといったことをチェックして、それこそ「頭を使って」「自分が、今中毒症状が強くなっているかどうか」を判断するようにしなければなりません。

「頭が悪い」人はまずこれが出来ず、狭い経験や主観で信念を柱建て、その後はバイアスまっしぐらです。古来「頭が良い」と云われる禅の僧侶が瞑想をするのはここがポイントです。

~改めて意(哲学)の必要性を問う

自分がどんなときに「許せない」と思ってしまうのかを内観によってパターン的に認識できるようになれば、自分を客観視して正義中毒を抑制することができるようになります。迂闊に狡猾な金稼ぎに染まったマスゴミに騙されることがないようになります。

そしてそこからはエビデンスベースの情報による論理思考です。エビデンスベースとなる情報を効果的かつ効率的に得るには、自分の情報収集の癖やパターンを掴むことが重要です。個人の嗜好や考え方は「どんなキーワードを検索したか」「どんなニュースをクリックしたか」によって、かなりの確度で把握されていて、そのデータは自分が知らないところでターゲティング広告の素材としても一杯使われています。

カードを使わせたがったり、ネット登録させたがったりするのはその為です。多少そこで割安にしても、後に得るものは強大だからです。個々が好み易い情報ばかりが表示されると、心理的に実は仮想的な閉鎖環境にいるのと同様の状態に置かれたようになってしまいます。ある種の内集団と同じ状態が形成されるのです。これがネット環境の陰の世界です。

そうすると自分の嗜好とは異なる意見や情報に接する機会が減ってしまい、他者への共感や理解がどんどんし難くなってしまいます。そうやってバーチャルな中で村社会と同じ構造が出来上がります。オタクになるとその度はますます高まります。宗教問題を引き起こす特殊世界も同様な構造で作り上げ、学歴ではない「頭の悪い人」を引き込み、徐々に洗脳していくわけです。

 

最近では意として良心の教育をされず、また個人主義と利己主義の違いも分からくなった若者が増殖していますから、マスコミの中にもビジネスの中にも自己利益主導で人を誑し込んでも平気という輩が潜んでいます。騙すことよりも騙される方が悪いといった方便が横行する世の中ですから、身を守るは自分自身しかありません。

そのような中でネットに騙されない、バイアスを掛けないようにするには、あえて興味も関心もないキーワードを検索してみたり、普段は見ないようなニュースや記事を積極的に閲覧してみたりすることが一つの方便です。

私は、土日はネットではなく結構テレビを見ますが、テレビはある意味一方向的でつまらない面もある半面、自分の属性とは離れた情報に触れる面があります。ネットの場合でも時には自分の属性とは離れた人の考え方、悩み、関心事などを検索することで、ネットメディアの意図的で押し付けとは全く関係ない情報にあえて触れていくのは良いことです。

しかしネットではどうしても検索という能動的行為に自分の意図やバイアスが入ってきてしまいます。情報収集は意図的になりがちですが、情報接触はシャワーのように行うのが肝要です。情報収集の前に情報接触をするのが創造性においても重要な行為となります。これによって知の偏りも防ぐことができ、時には思わぬ新しい世界や知識を得られ、有益な思考パターンが学習できることも多々出て来ます。

中野氏が云う「正義中毒」の仕組みは、ネットの普及とネットへの依存により、さらに顕在化してきています。それも悪い方に傾斜しているように思えます。意をなくした日本では、正義に隠れたバイアスをコントロールする教育が怠られているからです。ネット社会が進行し、情報が暴走する力を増すのに合わせて、それをコントロールする意の啓発が望まれるのですが、今のビジネス組織を見る限り「貧すれば鈍する」の感が否めません。

まったく何をもって「頭が良い」というのか。遠くは科挙全盛の頃の古代中国を彷彿とさせる今の学歴社会です。知も重要ですが、それをコントロールさせる意の啓発に目を向け、「本当に頭が良い」人材を輩出していって欲しいものです。「意」の本質は「利他」の精神です。

このブログを読まれている方々にはこの思い、訴えを少しでも具現化していただけますと歓喜に堪えません。

ということで、今回はこれ位で。

 

さて、皆さんは「ソモサン」