• 頭が良いとはどういうことか、を脳科学やバイアス論的に考察し、ネット社会での弊害を考える(1)

頭が良いとはどういうことか、を脳科学やバイアス論的に考察し、ネット社会での弊害を考える(1)

少し前の話ですが、米国の元副大統領だったアル・ゴア氏が環境問題で秀逸な題名の本を出しました。その名も「不都合な真実」。世の中は集団秩序を荒らさないことに気を使って真実であってもそれを覆い隠してことを進めようとし、返ってことを悪化させたり無用な誤解や勘違いを生み出したりして非効率な状態を生み出すことが良くあります。「不都合な真実」とはそういったことを表す言葉ですがまさに言い得て妙な感じがします。

そういった不都合な真実の中に「頭が悪い」という世界があります。私は以前より人の心の世界には「知情意」という三分立があって、それらは相互に干渉し合い三位一体で現れてくるが、その立脚点は各々異なる成り立ちであると紹介し続けてきました。この中の核として「頭が悪い」という包括的な言葉が指し示す「頭」への意味づけがあります。この頭とは何かという定義をきちんと理解し、認識を共有したうえで意思疎通を図り改善的なアプローチをしない限り、「頭が悪い」という命題に関する解決は成し得ないと考える次第です。

~頭が悪い自分都合の思考と行動とは

例えば今週あるコラムで以下のような投稿がありました。

それは「飲み会の自粛を提案したら、友人から衝撃の一言が返ってきた」という内容です。これに対して方々から「想像力を働かせてほしい」「理解できない」と批判の声が殺到ということですが、まさに衝撃の一言で、今の若者の多くに存在する「頭が悪い」の真骨頂と云える話でした。

その内容は「今も世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルス。爆発的な感染拡大を受け、ロックダウン(都市封鎖)をする場所も増えてきています。そんな中、はるまき氏から以下の投稿がありました。それは、さっき飲み会の中止を提案したら、友人から『じゃあはるまきは来んかったらいいやん』と返事をされた。これにはさすがにビックリした。周りのことを考えない、自分のことすらまともに考えられないそんな大学生は嫌いです」、というものでした。

言葉からするとどうやら関西での話のようです。関西出身の私には複雑な思いがするところですが、その関西である京産大において学生の安易な行動の連鎖によってクラスターによる10人以上のコロナ一斉感染があったわけで、取り分け関西学生としてはその出来事を他人事じゃないと見ているだろうと考える地域です。にも拘らず「人それぞれやから」という考え方が先に沸き、それによって多くの人の命が奪われていく、誰かの大切な人が死ぬ可能性がどんどん高くなっていくことが理解できない、想像力の欠落人間が実際に存在するという事実です。

果たしてこういう人材を大学生と呼んでもいいのでしょうか。しかし実際には大学受験さえ突破すれば大学生と云われますし、その大学が有名大であれば社会は総じて当該する大学生を権威のみで「頭が良い」と決めつけて、諸手で盲信する多くの日本人が一杯います。はてさて「頭が良い」とは一体どういう状態を云うのでしょうか。

~頭が悪い権威への妄信とは

権威と云えば、テレビでビートたけし氏が、1964年の日本の交通政策に関して自前で車を破壊して安全性への実証実験をしていたのに対して、「馬鹿だね。そんなのアメリカに聞けばいいじゃねえか。車大国なんだから」とコメントしていましたが、出演者がそれを皆疑問視もしないで聞き入っていたのには鼻白む思いがしました。

当時(今もかもしれませんが)、アメリカはそういった実験データなど簡単には出してくれませんでしたし、出しても高額を吹っ掛けるし、何よりも日本とは様々な面で条件が違います。日本もそこまで馬鹿ではありませんから、色々と考えて動いていたものと思われます。にも拘らずある種の権威を持ったら、その道のド素人の意見でも盲信する日本の愚衆の恐ろしさです。全くエビデンスベースでないバイアス意見が大手を振って正論的に蔓延するわけです。

発言者も発言者ですが聴取者も聴取者です。権威にもの云えないどころか盲従する思考や姿勢。問題本質から平然と遠のかせることに何の疑問も湧いてこない集団規範。こういった歪みに気が付かない、気付いても許してしまうことこそ「頭が悪い」の典型例なのではないでしょうか。

 

こういった風潮が起こす大きな歪みの原因として中途半端で無責任な日本の教育態勢の在り方がありますが、これが今回の亡国に繋がるような負の原動力になりつつある事実に、最早笑い事では済まされない危機感を感じるこの頃です。想像力のような思考を啓発する意の教育を軽視し、目先の合理性と云った演算的な思考を軸とする知に偏重した社会思想が生んだ負の付けがいよいよ出てきているようです。

私は前回、個人主義と利己主義をはき違える人が増えてきているというコメントをしました。そして経年の中で特に若者層に至ってはそれがマジョリティ化しているという危惧を書きました。先だってエルトン・ジョンのインタビューを見ましたが、彼は「自分は利己主義だから」と明言していました。あれほどの篤志家でも自分をしっかりと内観して「自分は利己主義」と自戒する。自分の中の利己と利他のバランスに常に目を向けて自分の行動の有り様を調整する。これが欧米の個人主義です。そう内観のない個人主義はありません。

利他を前提にして自分の在り方を考えるという軸足のない個人主義はないのです。そうやって考えると一目瞭然。日本の若者の個人主義的な振る舞いは、悪臭がするような利己主義の顕現以外の何物でもないのです。それこそ先の投稿に見られるような一連の話こそが好例です。こういう教育結果を作り出し、大学生という名の馬鹿者を輩出してしまっている日本の教育が自然界のバランスから「コロナ禍の人為的な拡大」というしっぺ返しを食らう結果を生み出してしまったわけです。

 

前回「バイアスとは身勝手なものの見方や考え方」であると紹介しました。そして「身勝手の根本は利己主義」にあり、それらは風潮の中で無自覚に発動するとコメントしましたが、この一連の投書に対するツイートの中に気になる一文がありました。それは「年齢に関わらず、『自分だけは大丈夫』と言う根拠の無い自信家には、何を言っても無駄です。人の迷惑を顧みる気持ちなど期待出来ません。突き放した言い方ですが、持っているモノサシが違うので、互いの気持ちを理解出来ません。はるまきさんの様な若い人が増えてくれる事を願うのみです」という内容でした。

これこそがアンコンシャスバイアスの心理を浮き彫りにしてくれるコメントだと感慨深く感じ入りました。

~正義中毒という快楽

こういった「根拠のない自信家」、「無自覚な身勝手な考え方(アンコンシャスバイアス)の持ち主」に顕著なのが歪んだ正義感です。「パートナーの浮気」「上司からのパワハラやセクハラ」「信頼していた仲間の裏切り」。歪んだ正義感はこういったことに「許せない」感情を生じさせます。勿論、自分や自分の近しい人が何らかの被害を受けたことに対して憤りや強い怒りが湧くのは自然な感情と云えます。しかし最近、有名人の不倫スキャンダルやアルバイトの不適切動画の投稿、不謹慎に映る行動といった自分と関係のない人物に対して「許せない」感情が露わになるといった現象が頻発して来ています。

自分や自分の身近な人が直接不利益を受けたわけではなく当事者と関係があるわけでもないのに、該当者に非常に攻撃的な言葉を浴びせ、完膚なきまでに叩きのめさずにはいられなくなってしまうという行為に脳科学者の中野信子氏は、「人の脳は裏切り者や社会のルールから外れた人といった攻撃対象を見つけ、それを罰することで快感を得るように出来ている。人に『正義の制裁』を加えると、脳の快楽中枢が刺激されてドーパミンが放出される。これは麻薬接種による依存症とほとんど同じような認知構造的な効果があり、一旦この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなり、人を決して許せなくなると同時に常に罰する対象を探すようになる」とコメントしています。

中野氏は これを「正義中毒」と呼んでいます。そして「正義中毒が脳に備わっている仕組みである以上、誰しもが陥ってしまう可能性があるので、誰しもが常に気を付ける必要がある」と警告しています。そう正義中毒は顕著なアンコンシャスバイアスの典型です。

 

バイアスは脳科学的にみると非常に論理として腹落ちできます。これは人間が持つ脳処理的な習性が真因になっているので、表面的に「理屈や常識論」を用いた知識学習をしたからと云って容易に修正できるものではありません。

実際、今これを読んでいる人にも「自分は違う」とか「これは自分の話ではない」と他人事で内観を一切せずに読み飛ばしている人が一杯存在しています。これまでのブログでも、後で読者の一部に問いかけると「良い話ですね」とか「全くその通り」といったコメントは頂きますが、行動を見ていて「ああこいつは読んでいないな」「全く分かっていないな。書いた材料はお前だよ、お前」といった場面にしょっちゅう出くわします。全く悲喜劇です。

そうバイアスは知ではなく意に関わる領域ですから意に向かってのアプローチが欠かせません。意は知と情から影響されますから、情、つまり感情に響かせることも必要です。感情に直結するのは行動ですから行動による体感や経験も必要でしょう。しかしその前に意としてのバイアスを組み立てている仕組みを理解して、深淵から内観を繰り返して癖づけることが最も手早い入り口になると云えます。瞑想法などはそういったアプローチを歴史的な中で体験学習的に確立した技法だと云えるのではないでしょうか。…続く

さて、皆さんは「ソモサン」